十月五日(水)庚申(舊九月五日 曇天一時晴間

 

今日の讀書・・昨夜、風野真知雄著 『神奥の山 大江戸定年組7』 (二見時代小説文庫)讀了。讀み終へてみて、七冊目のこれでこのシリーズがお仕舞ひといふことがわかりました。 

夢枕獏さんの 〈陰陽師シリーズ〉 も、連作といふか短い話の數珠つなぎでしたけれど、〈大江戸定年組シリーズ〉 では、單獨の謎解き話とは別に、いはば通奏低音のやうに、初めから最後まで響きつづける主題がみられます。それはげむげむ敎といふ宗敎と、それをひそかに追ふ岡つ引きの活躍です。 

げむげむ敎といふ世直しを標榜する破壊的な宗敎は、とても今日的ですが、人々の心に巧妙に入り込んでくるその恐ろしさが描かれてゐます。またその謎を追ふのが町の人からは蛇蝎のごとく嫌はれてゐる鮫藏といふ岡つ引きで、その活躍がとても魅力的なのであります。 

謎解きの中には、實に美味しくて安いうなぎ屋が、開店したのに一日で閉店したのを知つた町人が、どうしてやめてしまつたのかわからない。氣になつて仕方ないから調べてくれと〈初秋亭〉にやつてきます。また、三人が行きつけの店に、明らかに飲んではゐないのに泥酔した振りをしてやつてくる客がゐて、店主からそのわけを調べるやう依賴されたり、まあ、どうでもいいやうなことばかりの謎解き話なんですが、よく讀んでいくと、けつこう考へさせられる眞面目な物語なのであります。 

市井の人々の疑問や惱み、夫婦の間柄のこと、親子、とくに父と息子の確執の問題。これが一番深刻でしたね。それで、單なる捕物帖ではないところが、時代小説としては珍しいのではないかと思ひます。第七册目の大團圓の言葉を引用しておきませう。 

 

「わからねえな」 

と、藤村は言った。 

わからねえんだ、人間てえのは ── この言葉は初秋亭をつくってから、ずいぶんつぶやうた気がした。だが、それは本当のことだった。深川きっての嫌われ者が、善意の人の悪事をあばくのがこの世だった。善と悪。極樂と地獄。聖と俗。この世というのは、いろんなものが混じり合うところだった。 

「さて、もどるぞ。わしはまた、猫探しを賴まれてしまった」 

 

今日の寫眞・・門前仲町で食べたうな重と歩道のタイル。それに、食事のために姿を現した於菟ちやんと臺所に入り込んで妻とぢやれる華ちやん。