十月二日(日)丁巳(舊九月二日 曇り日中晴

 

目覺めたら六時過ぎ。すぐにラヂオをつけ、NHK第2放送にあはせましたが、すでに古典講讀ははじまつてゐました。 

第九九話「大膳太夫以長、前駆の間の事」の途中でした。枕元に準備した、新潮日本古典集成の『宇治拾遺物語』を開いて、加賀美幸子アナウンサーの朗讀に耳をそばだてながら、文字をたどりました。快感ですね。意味がよく分からなくても、なんとも響きがいい。 

つづいて、第一〇〇話「下野武正、大風雨の日法性寺殿に參る事」と、第一〇一話「信濃の国の聖の事」までを聞くことができました。解説の伊東玉美さんのお話、目の前で直にお聞きしたいものです。 

 

今朝の計測は、血壓、脈博、酸素量ともにほぼ變はらず、體重も61キロ代と、調子よささうです。脈博は、變はらずとはいへ、70代と、ほぼ高止まりです。 

晴れ間が出たので、讀書の間を縫つてふとんを干しました。久々です。 

夕食後、妻と夜のピクニック。お花茶屋まで、これまた久々に歩きました。お花茶屋公園でブランコにのり、歸りは、都營アパートに寄りました。 

「都營の子」、アパートの方々は、「グレコ」と呼んでゐるさうです。きれいなグレーの色をしてゐるからです。妻が歩いて行くと、そばに來てぢやれてゐます。元日に捕獲してゐれば、すでに我が家の子になつてゐたはづの子です。 

 

今日の讀書・・二、三日開かなかつた 『蜻蛉日記 中』 を、それでもがんばつて十頁ほど讀みました。黒川さんの 『悪果』 と 『繚乱』 が、それぞれ六〇〇頁あつたのとくらべれば、くらべるのも恥づかしいくらゐ遅讀ですけれど、讀みながら語られる内容の意味なり情景なりがすんなりと描けないのですから仕方ありません。 

句讀點がつくであらうところまで文字をたどつて、單語を判別し、その意味が分からなければ辭典を引いたり、注釋書を參照しながら、まるで豪雪をかき分けながら一歩一歩辿るやうです。少なくとも、單語の意味が分かるやうな文章であれば、文の區切りも早く見定めることができ、また、區切りごとの意味がただちに理解され、すらすらと、せめて野山を歩く速度にはなるんでせうが、『蜻蛉日記』 は、まるで風雪險しい雪山か、豪雪地帯のやうでありまして、遭難しないやうに進むのが精一杯と言つたところです。はい。 

それにくらべれば、黒川さんの 『悪果』 と 『繚乱』 なんか、高速道路をスポーツカーで飛ばすやうなものですね。 

それと、圖書館から屆いた 〈大江戸定年組シリーズ〉 を讀まないとなりません。まとめて五册もきてしまつたものですから、期限内に返却するために早く讀んでしまひたいです。 

 

今日の寫眞・・圖書館から借りた、風野真知雄著 〈大江戸定年組シリーズ〉 の五册。 

それと、古書目録を見て注文して屆いた、濱口博章著『飛鳥井雅有日記注釈』(桜風社)。と、『飛鳥井雅有日記』 本文の古典文庫。ただ、いつになつたら、この時代(一二八〇年頃)に到着できるでせうか。それまでどうにか心臟に持つてもらいたものです。