八月八日(月)壬戌(舊七月六日 

 

慈恵医大病院退院。

昨晩も寝苦しかつた。からだかうまくおさまらず、ペースメーカーの違和感をはじめとして、その左肩から腕にかけての気怠さ、胸の四隅に貼られた心電図のコードとそれらにつながれた重たい器具。さらに右腕に刺しなほされた点滴用注射針、そして、左手親指の脱臼であります。うとうとしつつも、スーツと眠りに入つていけないのです。 

それで、今朝方、ラヂオをつけたら、FM東京でジャズを長時間やつてゐたのが、気分を和らげてくれました。が、結局明け方までまんじりともせず、看護婦さんの声で起きると、採血三本。それから朝食となりました。さう、その採血の内一本が失敗で、またあとで採り直し! 

退院の朝といつても昨日までとなんらかはらず、点滴注射までついていました。

 

それから整形外科の外来に診察を受けにいきましたが、振り返ると、整形外科で診ていただいた醫者は毎回違ふのです。今朝は四人目で初対面。これ、けつこう不安です。はい。 

固定をはずして指の状態を診ましたが、再び固定してこのままなほるのを待つことになり、次回の外来日を決め、さらに痛み止めをいただいて終了となりました。納得した状態ではありませんが、これで退院せざるを得ないのでありませう。

 

病室に帰つてきたところで、点滴用注射針と心電図のコードが取り外されて、無罪放免とはなりました。あとは、左腕の動かし方と親指に注意するだけ。 

妻も來て、服を着替へ、退院の準備もできました。晝食は要らないといつてあるので、あとはただ薬がくれば歸れるのです。ところが、その薬が待てど暮らせど屆かないのです。 

一つは、整形外科からの痛み止め(処方箋を書いてもらつて、近所でいただこうとしたら、入院中は院内からしか出せないといふ)、それといま一つは、八月一日から新しくのみはじめた不整脈のための薬です。実は、これをのむために、ペースメーカーを入れたともいへる大事な薬なのです。 

それを、妻とベッドで待ちました。一二時ころから延々と二時間待つてやつと屆きました。もう何度も看護婦さんたちにはあいさつしたので、いざ歸るときには忙しくしてゐる方々の邪魔をしないやうにして、なんだかコソコソと病棟をあとにしました。映畫のやうに、醫者や看護婦さんに見送られての退院なんて、あれは架空の物語です。 

 

御成門驛から三田驛經由、都營淺草線で、京成靑戸驛に直行し、その驛ビルの壽司屋に飛び込みました。もう三時近くで心配だつたのですが、「開いててよかつた!」でした。好きなネタのにぎりを一貫づつ腹一杯食べました。これで、一件落着となりました。 

 

ところが、二難去つてまた一難。妻が、歸宅したら、モモタを捕獲器に入れてほしいといふのです。またハゲてきたモモタを病院へつれていくためです。しかし、案の定、捕獲に失敗し、牙を向けられてしまひました。それからは寄りつかうともしません。 

やつと會へると思つたのに、抱つこできると思つたのに、なんだか寂しくなりました。 

夜、シャワーを浴びました。ところどころ妻に助けてもらつて、病院でこびりついた汗を流すことができました。でも、うれしかつたのは、妻が、前開きでボタン留めのアンダーシャツを用意してくれてゐたことです。頭からかぶるシャツはこれからしばらくは使へないからです。 

 

今日の寫眞・・ベッドで藥を待つ。東京タワーともお別れ。靑砥驛の壽司屋にて。牙をむかれたあとのモモタとココ。