八月四日(木)戊午(舊七月二日 

 

入院生活第七日目。 

朝5時前に目が覚めて外を見ると、東京タワーが朝日に輝いてゐました。が、再びうとうとして、看護婦さんに起こされたらすでに7時すぎ、体温を計り採血をされました。また、氷を持つてきてくれたので、左手を冷やしました。まだ赤く腫れてむず痒くてすこし熱もあるやうです。 

 

ぼくは、考へてみると、心に思ったことといふか感じたことをどのやうにしたら正確に言葉に表現できるか、その試みとして毎日日記を書いてゐると言つてもいいのかも知れません。が、これはもしかしたら、『古今和歌集』の「序」で語られてゐることと関連して、たいへん重要なことなのかも知れないと、朝食のパンを頬張りながらふと思ひいたりました。 

「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろつのことのはとそなれりける。世中にある人ことわさしけきものなれハ、心におもふことを、みるものきくものにつけて、いひいたせるなり。花になくうくいす。みすにすむかはつのこえをきけは、いきとしいけるもの、いつれかうたをよまさりける」。 

ふ~む。ゆつくり口ずさんでゐると涙がわきあがつてきますね。ぼくは歌はうたへませんが、言葉をもつて表現せざるを得ないものが人の心なのだといふのはよくわかります。 

写真だつて、心に感じたものが写し撮れたかが肝心なので、美しい景色が写つてゐたかどうかなんてことは、本当はどうでもいいんですよね! 

だから、ものに感じる心を持つて生きることが、生きてゐる人生そのものであつて、そもそも何も感じないのなら生きてゐないといふことなのでせう。だいぶ言ひ過ぎかも知れませんが。 

 

いやあ、かうして書いてゐる間も、採血されたり、点滴があり、レントゲンに行つたりと、なんども思考か中断されるのがつらいですね。 

「世中にある人ことわさしけきものなれハ、心におもふことを、みるものきくものにつけて、いひいたせるなり」。 

何も感じないのなら生きていないのと同じだみたいな、過激なことを言つてしまひたしたが、そんなことより、ものに感じて心がうごかされ、表現せざるを得ないのが人の心だなんて、『古今和歌集』の時代にすでに人の心がわかつてゐたといふことが驚きですね。そしてその伝統のもとに、まあ今や風前の灯なのですが、そんな伝統に気がついて過ごせることだけでも、幸せと言ふべきなのでせう。 

でも、それにしても、どうしてぼくは歌も俳句も詠めないのか、不思議だし、焦れつたくて仕方ありません。素養が無いのでせうね。 

といふか、「みるものきくものにつけていひいたせるなり」とあるやうに、何かにたくして表すのが歌となり、詩になり、また俳句になるのであつて、心をそのままに表したのでは詩歌にならないといふことなんでせう。いやあ難しい! 

 

昼過ぎ、デジカメに撮りためておいたココとモモタの大量の写真の中から、トリミングしながら選んでゐたら、いきなり中村さ~んと、主治医の美人先生が、外来の時より濃いお化粧をして来られたのであります。いやあ慌ててしまひました。きつと脈拍も飛び上がつたのではないでせうか。 

手術あとをあちこち触れてくれまして、順調とのことで、日曜日に退院、外来への通院日も決まりました。 

 

それからしばらくして、妻がいつもよりおそいのでどうしたのかなと思つてゐたら、なんと母が一緒だつたのです。兄ちやんだいじょうぶ、と今だに子どもあつかひですからねえ。話もないのですぐに帰りましたが、後で妻がよこしたメールによると、出かけるにあたつても、行く行かない、何を着ていかうか、パスモはどこだとか大騒ぎ。帰りは帰りで、どうしても一人で(遊んで)帰ると言つて、妻の心配をよそに別々に帰宅したさうです。 

実際の世話より、毎日のそんな対応がこたへるのよと、毎日聞いてあげなければならないのが、ぼくのだいじな「家事」となつてゐます。 

 

廊下に出ると洗面所があるので、出会ふ人ごとに声をかけたり、あいさつするんですが、みなさん、同じペースメーカーの人もゐれば、ステントを入れる人、検査入院ですといふ方もをられます。若い人もゐますが大多数はぼくよりうへの方ですね。 

さうだ、昨日宮司の坂本さんが、中村さん、あと何年もせずに、医療崩壊が起きるから、今のうち診てもらへてよかつたね、なんて言ってゐた言葉がふとよみがへりました。 

 

今日の寫眞・・見舞ひに來てくれた母と東京タワー、各二枚。