六月廿五日(土)戊寅(舊五月廿一日 曇天一時小雨

 

今日の讀書・・昨日につづいて靑畳讀書。『世界7月号』の 「山口二郎のムホン会議 第四回 自発的隷属の鎖を断ち切る『小さな揺らぎ』 ゲスト=西谷修×森達也」 と 『通販生活 二〇一六夏号』の 「落合恵子の深呼吸対談 ゲスト浜矩子 『経済成長をすれば幸せになれる』という幻想から、そろそろ目覚めましょうよ」 を讀みました。

 

「山口二郎のムホン会議」では、E・フロムの『自由からの逃走』を思ひ起こしました。「小さな牧羊犬が、なぜ羊の大群をコントロールできるのか。大群すべてをコントロールする必要はないのです。数匹の羊さえ追いかければ、隷属傾向が強いので他の羊がそれに続くわけです。人間も同様に群れる生き物です。特に日本人は羊的傾向が強い。個が弱いんです。ならばどうすればよいのか。少しだけ山羊度を入れることことです。みんなが右に行くなら左にちらりと視線を向ける。それだけで新しい視座を獲得することができる」。 

羊は集團への同化がとても強く、單獨で行動しようとはせず、そのため、食べる草がなくなつてもその場にゐいつづけてやせてしまといひます。けれど、山羊は周りを氣にせずに勝手に動き回る動物なのです。だから、モンゴルの遊牧民は羊の群に、必ず山羊を少しだけ入れて、その場から動こうとしない羊を新鮮な草場に移動させてゐるとのこと。山羊のあとにゾロゾロあとについていくことによつて、羊も肥えるといふわけです! 

だから、山羊的人間がもつと增えて、山羊度を高めていくことによつて、現状が少しは改善されていくのではないか、と言ふことを學びました。

 

また、『通販生活 二〇一六夏号』には、「松崎菊也の公共事業クイズ」といふのがあつて、ぼくには刺激的といふかとても新鮮でした(今日の寫眞參照)。 

 

今日の《平和の俳句》・・「限りなく母は平和の涌く泉」(七十一歳男) 

 

今日の寫眞・・今日のモモタ。それと、お送りいただいた清瀬市のにんじんセット。これもまた、先日メールで友人知人の皆さんに〈大事なお知らせ!〉と山寺さん追悼寫眞や、例の『中仙道を歩く 感想文集』をお送りした、そのお返しであります。感謝。 

送つてくださつたのは、中仙道を一緒に歩いたご婦人で、お名前は伏せますが、たいへん深刻なまた貴重な報告をしてくださつてゐますので、その文面を寫させていただきました。 

清瀬は都内でも人参栽培の盛んなところで、その人参のジュースと人参ジャムです。清瀬のブランド(?)とか。・・・ 

私の生まれ故郷は福島県のいわきです。(昭和30年代に東京に引き上げてしまいましが)。母の実家は時々報道される川内村です。 

帰村可能になっていますが。昨十一月母の実家のお墓参りに二人の弟と行き、帰りは従兄弟の子供の案内で原発の影響を受けた富岡町を経由して帰京したのですが、除染物の入った黒い袋が至る所に山のように重なり果てしなく続いており声を飲む思いでした。その時の句です。 

「果てしなき除染の袋寒烏」(朝カルの通信教育の俳句教室で秀句に選ばれましたが)。余分なことを述べてしまいました」。 

 

つづいて、ぼくのお禮の返事の一部です。 

「ところで、福島のことは、ぼくも、いつも念頭から離れません。まだメルトダウンした燃料が地中深く取り出されないままで、そこからどれだけの放射能が飛散してゐるかと思ふと、政府や東電のやりかたは、足尾銅山の鑛毒事件などとまつたくかはつてゐないのでありますね。齒がみしてしまひます! 

故郷がそんな状況であれば、どんなにか心配であり、また氣がかりででせうね。 

「果てしなき除染の袋寒烏」  

情景が浮かんできますし、寒々とした氣分が他人ごとでなく傳はつてくる句ですね。 

こんな時代から早く抜け出さないといけないのですが、それにしては、みなさん無關心な氣がします。それで、「日本会議」についてお傳へしたのですが、まだまだ心配です。