六月十五日(水)戊辰(舊五月十一日 曇天一時小雨

 

今日の讀書・・先日レンズを入れたメガネの調整のために日本橋に行きました。すると出がけに、妻が、例の菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)を讀めと言つて手渡すのであります。とにかく面白いし、いや、このことは知つておかなければならないことですと、とても眞劍に言ふものですから、くづし字本をやめて、新書版の『日本会議の研究』を持つて家を出ました。

 

實は、今のところ政治的な話はできれば避けたかつたんですが、いやに熱心なのでありますね。それで行き歸りの電車の中で目を通したのですが、たしかに、はじめから「ふ~ん」ではなく、「う~む」と唸らざるを得ませんでした! 

その心は・・・ なんだこれは! これが本當なら、今や我が國は「日本会議」といふ闇の權力にあやつられつつあり、あほな安倍すら傀儡にすぎないではないか、といふため息といふか熱い憤りが噴出しかねない思ひがしたといふ意味です。 

平和憲法のもとでのほほんとしてゐる間に、改憲改悪の魔の觸手はぐぐつと伸ばされ、今やのほほんの良識ともいへる穏健な人々の暮らしは風前の灯かも知れません。いや、改憲とは、憲法を土臺にしての改憲ですから、彼ら「日本会議」はそもそも現在の憲法を認めず、憲法を骨抜きにしていくといふ謀略です。それが昨年の憲法違反の安保法制なのであります。「反憲的解釈改憲」と呼んでゐるやうです。

 

のほほんが許されるところが平和憲法の素晴らしいところなのに、それに飽き足らない活動家が民主國家を蹂躙しはじめてゐるのであります! 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」なんいふ名前に誑かされてはならないと思ひましたが、いやいや、相手はあらゆる美辭麗句を竝び立て、樣々に變裝して全國の市町村に忍び入つてゐるのであります。 

しかも、そのエネルギーがすごい。「ネットで訴えたり、文書を配布したりするだけでなく、極めて熱烈な運動も展開している」といふのです。のほのんの平和が脅かされてゐることは間違ひありません。 

天皇制復活も掲げてゐますが、それだつて天皇制を利用するだけであつて、思ふままに國家を操るための方便であることは見え見えであります。あほな安倍に氣を取られてゐる場合ではないと思ひました。もう少し殘つてゐるので、つづきは明日報告します。 

氣持ちが重くなつてきましたよ。ほんと。

 

それにまた歸宅後、夕方、妻が來てきてと下から呼ぶのです。やつとオト(於菟)ちやんが來たから捕まえてほしいといふのです。食べものにつられて、逃げないやうなので、妻と挾み打ちにして、ぼくがどうにか捕らへ、ケージに入れることができました。 

すぐ足立區東和のクローバー動物病院につれて行きましたら、かなり深刻な疥癬で、手に負へないといふので、江戸川區北小岩のモネ動物病院を紹介され、すぐに驅けつけました。はじめての道ですから、ぼくがナビゲーターで、時間外なのにどうにか診てもらふことができましたが、即刻入院。二週間はかかるでせうとのお話です。それがとても優しい醫師と看護婦さんで、その應對だけで救はれた感じがしました。 

歸宅したのは八時過ぎ。母には先に食べてもらひましたので、二人して、ノラたちのことをおかずにしていただきました。 

 

今日の《平和の俳句》・・「戦争は人間の性(さが)八月十五日」(六十四歳女男) 

〈中江有里〉 自分の正義と他人の正義を戦わせたところでなんにも得られない。なのに繰り返してしまう。止めるのは人間しかいません。 

 

今日の寫眞・・菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)再び。幸せなモモタと、昨年十二月のオトと今日の瀕死のオト。それにモネ動物病院。