六月三日(金)丙辰(舊四月廿七日 晴

 

今日の讀書・・今日は金曜日。歴史と文學のお勉強のために、定例の古書市に行つてまゐりました。御茶ノ水の東京古書會館と高圓寺の西部古書會館のふたところを訪ねたのであります。 

御茶ノ水のはうは「城南展」、早稻田通りの五十嵐書店が出品されてゐるので期待して出かけたのですが、豫期した通りでした。探してゐた、影印本の『二荒山神社本 後撰和歌集』やら、『篁物語』やら、『兼好法師家集』などが見つかりました。 

その他、サントリー美術館の圖録、『歌を描く 絵を詠む〈和歌と日本美術〉』を求めました。コラムに田中優子先生が次のやうに書かれてゐたのを見たからです。 

「江戸文化とは平安文化のパロディである。──すべてそうとは言わないが、これはかなり当たっている。その証拠に、何か始まろうとするときには必ず平安文学が顔を出す。」 

これが文化といふものなんでせう。受け繼いだ文化を土臺に、或いは榮養にしてしか、新しい文化は育たないことを、江戸の人々は知つてゐたのです。まあ、當然のこととして行つてゐたんでせうけれど、明治時代を境としてといふか、劃期として、それまでの文化の積み重ねと、そこから「道管」を通して送られてくるはづの榮養を斷ちきつてしまつた今日の文化、と言へればですけれど、それはまるで、砂上の楼閣のやうだとぼくは思ひます。 

「和本リテラシー」と唱へてゐる中野三敏先生が、坂本龍馬と福澤諭吉が嫌いだといふ意味はこのへんにあると、ぼくは理解します。「新しい夜明け」どころか、明治維新によつて、この國の文化の根は斷ちきられ、それ以來尻つぼみをはじめ、今後ますます枯れてゆくでせう。

 

さうだ、枯れてゆくといへば、ぼくは今日、はじめて若者から席を譲られたのでした。ちやうど優先席前だつたこともありましたが、座つてゐた西洋人と思はれる色白の靑年が、自分の席を指をさしてここに座れといふのであります。はじめ、ぼくは、誰のことを指してゐるのかわかりませんでしたが、目と目があつてぼくのことだと悟り、はいありがたうと言つて座らせていただきましたよ。 

ぼくが他の人に席を譲つたことはありましたが、譲られたのははじめて。なんだか複雑な氣持ちでした。白いひげをみて、よほどの年寄りに見られたのかも知れません。 

 

今日の《平和の俳句》・・「道ばたの花を散らさず守る人」(十二歳女) 

〈いとうせいこう〉平和の心を素直に、しかし確実にうたった句。花を蹴散らかすどころか、目に入らないのでは気持ちが命へと向かわない。 

 

今日の寫眞・・御茶ノ水驛ホームにてと、今日の掘り出し本。