五月十九日(木)辛丑(舊四月十三日 晴

 

今日の讀書・・今日も慈恵大學病院へ通院しました。昨日急遽豫約していただいたアブレーション外來の專門醫(素敵な女醫さんです!)に診ていただくためです。でも、六月に行ふエコー檢査をしたうへでないと判斷がくだせないとのことで、またまた保留といふか、留保といふか、棚上げされたやうで、宙ぶらりんの日々がつづきさうです。 

でも、轉んでもただでは起きないのがぼくの信條です。前もつて新橋驛SL廣場で古本まつりが行はれてゐる情報をつかんでゐましたので、病院から歩いて向かひました。ちやうど晝飯時で、サラリーマン・ウーマンがぞろぞろ街頭に現れて飲食店へと吸ひ込まれたり、ならんだりしてゐるのをかきわけながら、ぼくも一軒の美味さうな立ち食ひ壽司屋を見つけて入りました。七百圓でしたがたしかにうまかつたです。

 

さて、古本まつりは盛況で、どのテントにも人が群がつてをりました。ぼくはどのやうな本があるかを知ることが第一ですから、まあ、いつものやうに見て回るだけでも充分なんですけれど、あるテントにさしかかつたら、なんと、小學館から出てゐる日本古典文學全集が山と積まれ、それが一册三〇〇圓。思はず、持つて歸るのに苦勞するのに、數冊求めてしまひました。 

この古典文學全集がいいのは、頁が三段に分かれてゐて、上段が「註」、中段が「本文」、下段が「口語譯」になつてゐるからです。ぼくは、影印本の『大和物語』を讀むのに、讀めない文字が出てきたら、これを見るやうにしてゐます。ついでに口語譯で文脈も把握できますし、さらに人物や語句や、その文法的説明も上段で確かめられます。 

何と言つても、安いのは、最近新版が出たからのやうで、舊版のこれらは厄介者なんでせう。だから、ぼくは、『大和物語』を讀むのに、これを惜しげもなく切り取つて分册にして利用してゐます。俄然輕くなつてベッドのわきに吊しやすくなりました。 

ちなみに、今日は、『土左日記・蜻蛉日記』と『落窪物語・堤中納言物語』と『枕草子』と『洒落本・滑稽本・人情本』と『歌論集』の五册を求め、それでも一五〇〇圓。値段の割には重い本を引きずつてどうにか歸宅いたしました。

 

歸宅後、思ひ出して、パソコンを起動。〈宮内庁書陵部 畫像一覽〉を開き、『將門記』と『多武峰少將物語』と『篁物語』を呼び出して、用意しておいたワード文書にコピーしました。さらに、『將門記』、これは、『今昔物語集』の中の文書でしたが、漢文の原文よりも讀みやすさうなので、繼讀中の『貞信公記』のその部分が出てきたら併行して讀みたいと思つてゐるのですが、それをプリントアウトしました。二つ折りにして綴じれば册子です。これは、我が『歴史紀行』でやつてきてゐることなので御茶の子さいさい。『多武峰少将物語』と『篁物語』も册子にしてしまひたいと思ひます。 

かうして、ほぼ年代順に、歴史書と文學を絡み合はせて讀んでいくのがぼくのやりかたで、これでだいぶ的がしぼられてきました。ただ、これが、どこまで、いつまでやれるのか、それがまあ、最大の問題なのでありますが。 

 

今日の《平和の俳句》・・「権力を批判してこそメディア咲く」(八十五歳男) 

 

今日の寫眞・・今日の新聞切り抜き。それと、晝食に入つた壽し屋と、新橋驛SL廣場の古本まつりと、西日暮里驛ホームからながめた、道灌山方面(十七日の日記參照)。 

最後は、「日本古典文學全集」。開いた頁は、『伊勢物語』の「渚の院」の部分です。地圖にある水無瀨離宮も渚の院も、『歴史紀行六 平安京編二』で訪ねたところ。懐かしいです。