五月十七日(木)己亥(舊四月十一 雨

 

今日の讀書・・風間真知雄著「耳袋秘帖」シリーズ第九册、『人形町夕暮殺人事件』を讀み終へました。イージーリーディングですから、面白く讀めればそれでいいのですけれど、『耳袋』といふ、江戸時代の實在の隨筆集を下敷きといふか、そのなかの話をちりばめた内容なので、おのづから歴史的色彩も濃くて、敎へられることもしばしばです。 

例へば、本卷には、太田道灌の話と蒲生薫平が登場いたします。蒲生薫平については、「のちに寛政三奇人の一人と言われて有名になる。尊皇の気持ちが強く、天皇陵を訪ね歩いて、『山陵志』という書物を完成させた。これに古墳の特徴を〈前方後円〉と記し、のちの前方後円墳という言葉はそこからきた」、なんて書かれてゐて、とてもよい復習となりました。ぼくも蒲生薫平には興味があつて、天皇陵探訪の際には參考にさせていただきましたし(『歴史紀行二 古代天皇陵編』參照)、先年は史策會で、その谷中臨江寺にあるお墓を訪ねたりもしました。

 

また、太田道灌については、ぼくは江戸城をを築いた人で、日暮里驛近くに、江戸城築城に際して、「出張(でばり)の砦城とせし跡」と『江戸名所圖繪』にも記されてゐる道灌山があることくらゐしか知りませんでした。ところが道灌さん、有名な歌人でもあつたのです。 

それを知つたのは、古典文庫の『和歌威德物語』所収の『和歌奇德物語』を讀んだ時で、「西行法師の事」と「宗祇法師の事」の間にはさまれて、「太田道灌歌に志したる事」とあつたので、これは有名なことなのだと思つたのでした。 

道灌が鷹狩りに出た途中、雨に降られ、近くの家に飛び込んで、蓑笠を貸してほしいと賴んだとお思ひください。ところが、古典文庫によると、「十二、三なる小女のいでて、そともにいでて、やまふきの花を手折て一枝さしだしくれハ、いやとよ花の所望にあらず」、蓑が借りたいのだと言ふのに、「かの女ものいはで内にいり、ついにみのをかさざりけり」とあつて、怒つて歸路についたとお思ひください。 

それを聞いた家臣が、「それは、兼明親王の歌を踏まへたものではないのですか」と言つたのです。『後拾遺和歌集』の中の中務卿兼明親王の歌に、

 

  七重八重花は咲けども山吹の實ひとつだになきぞ悲しき

 

 とある、この「實の」と「蓑」をかけて、蓑さえない貧しい暮らしなのですと告げたといふのである。「さうであつたか・・・・」。道灌は納得し、この切ない斷りを察することができなかつたことを恥じ、以後、歌道を學ぶのに精進したといふのである。 

たしかに、「勅撰和歌集」第四番目の『後拾遺和歌集』の中に、中務卿兼明親王の歌と題してこの歌があります(一一五五番)。このやうに、即座に歌をもつて心の内を告げることが出來る、それが教養といふものなんでせう。そして、貴賤上下の別なく、人が人として對等に向かひ合へる場がそこにあつたともいへるのです。

 

いや、勉強になりますね。讀書とは、己の内に疑問をもつてそれを解明をしていくことだと、どこかで讀んだことがあります。ちよいと注意して讀むと、イージーリーディングも決してばかにできません。 

 

今日の《平和の俳句》・・「鼻唄が今日も出ましたありがとう」(九十二歳女) 

 

今日の寫眞・・今日の新聞切り抜き。