五月十六日(月)戊戌(舊四月十日 曇天

 

今日の讀書・・『宇治拾遺物語』影印本の「利仁、芋粥の事」を、一日かかつてどうにか讀み通しました。現在では死後といふか使はれなくなつた表現や語句が頻繁にでてくるので、まことに躓きながらの通讀でした。 

そこで、この話の主人公ですが、芥川龍之介は、「五位」といふ情けないやうな人物にしてゐますが、ほんとうは、「利仁」といふ、本名が、藤原利仁といひ、坂上田村麻呂とならぶ「從四位下鎭守府將軍」(の若かりし頃)であるやうです。そこは、どのやうな話の運びにするかによつて異なつてもなんら問題はないと思ひました。でも、やはり、「五位」を主人公にした方が話としてはたしかに面白いでせうね。 

五位が芋粥をたらふく喰ひたいとつぶやいたのを、利仁に聞かれ、それではといふことで、敦賀にある利仁の、まあ豪族のお屋敷といふことですけれども、そこに招かれてご馳走にあづかるといふお話でありますが、その準備を見ただけでゲップが出てしまふほどのその豪勢といふか途方もない豪族の底力を見せつけられてしまふのでありますね。

 

當時の豪族の勢力を描いてゐてとても興味深いところですけれど、芥川龍之介を讀んでゐて、一點だけ氣に入りませんでした。それは、以下の實に肝心な場面を省いてしまつてゐることです。 

五位が到着した晩、寢苦しくしてゐる五位の「傍に、人のはたらけば、『誰そ』と問へば、『「御足給へ」と候へば、參りつるなり』(お足をもんでさし上げなさいと言はれましたので、參りました)と言ふ。けはひ憎からねば、かき臥せて、風の透く所に臥せたり」。 

これは、當時、客人に對する禮儀として、或いは、異なる血筋を同族の中に入れるために普通に行はれてゐたことで、さう、五位のもとに女性が夜伽に來てくれた場面です。それが、龍之介君の「芋粥」には省かれてゐるんです。なんてもつたいないことを、と思ひました。だから、原文を讀まないと、當時の人々の生活や、歴史的状況も正しくはわからないのでありますね。いや、ぼくは經驗ありませんけどね。はい。

 

つけたり・・龍之介君の箴言。芋粥をたらふく喰ふことが人生の目標となつてゐた五位に關する言葉です。「人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の爲に、一生を捧げてしまふ。その愚を哂ふ者は、畢竟、人生に對する路傍の人に過ぎない」。 

 

今日の《平和の俳句》・・「戦争を止めるは僕らただの人」(四十六歳男) 

 

今日の寫眞・・地震直後のテレビ場面。