五月十日(火)壬辰(舊四月四日 曇天

 

今日の讀書・・今朝も慈恵大學病院に通院し、昨日胸に装着したホルター心電圖を取りはづしていただきました。それで、その往き歸りの電車の中で、繼讀中の『宇治拾遺物語』の第四話を讀みました。「伴大納言の事」といふたつた十六行のお話でした。 

第一話は、「道命阿闍梨、和泉式部のもとに於いて讀經し、五條道祖神聽聞の事」、第二話は、「丹波國篠村に平茸生ふる事」でした。 

第二話は、第一話につづいて、お經を讀むことによるその功徳といふか効き目についての話でした。第一話の道命阿闍梨さんなんか、和泉式部さんとうまくやつたつて、これは實は「女犯」といつて本當は大變な罪のはづなんですが、ここでは、お經を立派に讀んだので往生して救はれたといふ内容でした。それにつづく平茸の話は、その反對に、お經をサボつた者が往生できずに平茸に生まれかはつてしまひ、それで丹波國篠村では平茸が豐作だつたといふお話でした。女犯よりもお經がよく讀めないことのはうが罪が重いといふのははじめて知りました! 

そして第三話は、「鬼に瘤とらる事」といふ瘤とりぢいさんの話で、おとぎ話としても有名ですから内容は省略しますが、前後の關連といふか内容のつながりみあたりません。 

それで、第四話「伴大納言の事」ですが、國寶の『伴大納言繪卷』で有名な伴大納言、すなはち伴善男の運命を豫言するやうな内容です。 

「平安初期の貴族。弁舌に優れ、大納言となって權勢を振るう。左大臣源信と争い、八六六年(貞観年)応天門放火の犯人として捕らえられ、伊豆に流罪。(八〇九~八六八)」 

これは、『広辞苑』の内容です。まあ、専門書ではありませんが、ちよいと思ひ出すには役立ちます。その、伴大納言の失脚が豫言されてゐたといふお話でした。 

 

歸宅後は橫になり、風間真知雄著「耳袋秘帖」シリーズ第八册、『麻布暗闇坂殺人事件』を讀みつづけました。今回の舞臺がぼくがほとんど歩いたことのない麻布で、しかも、暗闇坂はじめ、仙台坂、一本松坂、大黒坂、鳥居坂などが舞臺です。ぜひとも足を運んでみたくなりました。 

 

今日の《平和の俳句》・・「新婚や三月十日丸焼けに」(八十三歳男) 

 

今日の寫眞・・氣になる今日の新聞切り抜き。それと、昨日訪ねた神保町の秦川堂書店入口。