五月七日(土)己丑(舊四月朔日・朔 雨のち晴

 

今日の讀書・・昨夜から讀みはじめて、仕事を待つ間に讀み終へた谷崎潤一郎の『乳野(ちの)物語』ですが、これは、フィクションといふより紀行文といつたはうがあたつてゐるかも知れません。谷崎潤一郎が懇意にしてゐた、「洛北一乘寺にある曼殊院の門跡で、天台宗の碩學と云はれる山田光圓師」に、ある人物を題材にして小説を書いてみないかと薦められた内容なのです。が、谷崎潤一郎としては、小説よりも隨筆ならばといつて書きはじめたもので、ぼくに言はせると、これこそ人物を通した紀行文ではないかと思ひました。

 

その人物とは、元三(がんさん)大師といひ、ぼくなど初耳でしたけれど、「元三大師とは(比叡山の僧)良源和尚のこと」だと知つて、がぜん興味がわいたのでした。良源さんは、第十八代天台座主を擔つた僧で、なにやら入唐求法して第三代座主となつた圓仁さんの派と、同じく入唐して第五代座主となつた圓珍さんの派との對立を激化させた人物でもあり、はたまた惡名高い僧兵横行の原因をつくつた僧だといふのですから興味がわかないはづがありません。でも、弟子にはかの、『往生要集』の著者源信などもをり、歴史的には見過ごしにできない坊さんのやうなのであります。 

その元三大師さんですが、「實は宇多法皇の胤であること、大師の母は大師が偉い坊さんになつてからも大師を慕ふこと一方ならず、わざわざ大師に逢ふために比叡山の麓に庵を結んでゐたこと」など、大師と母親との關係を題材にしたと思はれるのであります。といふことは、潤一郎さん獨特のといふかお好みの母子關係ものにしてしまつたところがなんともはや! 

ところで、ここでも、『枕草子』とか、『宇治拾遺物語』や『古事談』、『十訓抄』や『古今著聞集』などが登場し、思はず王朝の世界に引き込まれさうになりました。 

 

仕事も上出來で氣分も上々、せつかく持つて行つたのですから、歸りの電車の中で、石川九楊さんの『ひらがなの美学』(新潮社 とんぼの本)もちらちら目を通しました。これはビジュアル版で、寫眞が滿載なのです。《寸松庵色紙》とか、《高野切古今集》とかの本物の寫眞ですから、色彩もすばらしくて、讀むといふよりは、美しいかな文字をながめてしまふのですが、ぼくには、變體假名を讀み取るお勉強もかねてゐますから、目をこらしてまづかなを讀み取ることに專念いたしました。不思議なことに、自分でも「かな書道」をはじめたせいでせうか、けつこう讀めるんですよね。讀めるといふのは、意味をとりながら、どの文字がひとつの意味のまとまりで、どこで區切つたらよいかがわかつてくることです。これは言ふほどやさしいことではないのです。 

例へば、今讀んでゐる本のある部分を、すべてひらがなにして、濁點も句讀點ものぞいてから讀んでみると、その難しさがわかるはづです。まあ、お勉強ですからね、謎解きをかねて讀んでいくのが樂しいところでせうか。 

 

今日の《平和の俳句》・・「十八歳誕生祝は選挙権」(七十五歳男) 

 

今日の寫眞・・谷崎潤一郎著『少將滋幹の母』(角川文庫)と小倉遊龜の插繪。田植のはじまつた伊豆の田園の景色と、がらがらの新幹線。それに夕食をいただいた、新小岩のとんかつ屋。東京驛からはじめて横須賀・總武線快速に乘つたら、四つめが新小岩驛なんですね。さいごは、高野切れ古今集の一部。