三月廿七日(日)戊申(舊二月十九日 晴

 

終日讀書。昨日の疲れを癒しながら、しかし、塩見鮮一郎著『彈左衞門とその時代』(河出文庫)のつづきを讀み出したら興奮しつづけで、これでは休息もあつたものではありませんでした。う~ん、と唸りながら、でもどうにか讀み終へることができました。 

 

*三月廿六日「渡良瀬遊水地ヨシ焼き」(その二) 

ぼくたちがめざしたところは、地圖によれば、渡良瀨遊水池全體の最も北に位置してゐる場所でした。川野さんが三年前に來られたときの寫眞を見せられて、これは見ておかなければならないと思ひ、お誘ひに甘えて見學にきたのです。寫眞A


藤岡驛前から眞東に、町の中を歩いて行くと藤岡小學校に突きあたりました。その學校の塀に沿つて、右に左に曲がつてふたたび直進すると、こんどは國道11號線に突きあたりました。それはまるで堤防そのものといつた道路で、交通量も多く、やつと渡つた堤防の上からの眺望は、でも、とても素晴らしいものがあり、廣々としてゐました。 

さらに、堤防から駐車場へと下る道路をたどりながら、しかし、どうも活氣が感じられません。どうしたのかなと思つてゐると、川野さん自身が、今年は人の出が少ないことと、廣場の先にある堤防とそこに立つ人たちを見ながら、どうも堤防には上がれないやうですと、心配さうに言ふのです。遠目ですが、關係者の姿しかなかつたからです。 

それでも、集ひはじめた人々は多くが車で來たのでせう、それぞれカメラと三脚やらを抱へながら移動をくりかへして、茂るヨシへの點火を待ちました。 

ぼくたちは、不審がる川野さんとともに、點火がなされやうとしてゐる場所の近くで待ちました。はたして、堤防へは、「關係者以外は立ち入り禁止」でした。そばにゐた人たちも、堤防には上がれないことを知らされたらしくて、ちよいと不滿足のやうでした。寫眞B


八時三〇分、點火がはじまりました。もちろん、一個所だけでなく、遊水池全體の各所で火がつけられたはづです。ところが、我が目の前のところでは、何人もの消防團と思はれる方々が火をつけてはゐるんですが、なかなか延焼していかないのを焦れつたい思ひで見つめてゐます。と思つてゐるのは、實はぼくたち自身なんでせうが、それはさうで、茂つてゐるとはいへ、ぽよぽよのすき間だらけの繁り方では、火が傳はつていかないのもうなづけました。 

すると、別の方面で、火炎とともに黑い煙が幾筋も立ち上り、しだいに期待がふくらんでいきました。とくに、上れなかつた堤防の向こう側からの煙のすさまじさには、上がれなかつた無念とともに、いくら待つてもちよぼちよぼの火勢には、いささか焦りと、苛立ちと、あきらめが回りを包みました。寫眞C (つづく)


今日の讀書・・塩見鮮一郎著『彈左衞門とその時代』(河出文庫)讀了。

 

今日の寫眞・・寫眞ABC參照。

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