三月廿三日(水)甲辰(舊二月十五日・望 晴のち曇り

 

塩見鮮一郎著『彈左衞門とその時代』(河出文庫)は、『賤民の場所 江戸の城と川』(同)とともに、藝能の歴史や遊女關係に興味を覺えた頃に求めた本ですが、頁を開いて讀みはじめたらとまらなくなり、今日はそれでも、「第二章 彈左衛門という制度」を讀むにとどめました。いはゆる「被差別」問題の歴史、といふか江戸における「被差別」者の生業について、ぼくは彼らなくしては江戸の人々の暮らしは成りたたなかつたらうなと思ひました。 

なにしろ、開く頁、開く頁に、地圖や各種の圖が豐富で、イメージが喚起されてしかたなく、彈左衛門らが住まはつたといふ、淺草の裏のその「圍内」(カコイナイ)の地(明治になつてから亀岡町と呼ばれた地)を訪ねてみたくなりました。 

 

それで、田山花袋の『東京の三十年』のはうはあまりはかどりませんでしたが、これまた、古い地圖などを傍らにおいて讀んでゐたら、訪ねたい場所が随所に出てきて困るほどでした。 

 

「明治二十年頃 その時分は、大通に馬車鉄道があるばかりで、交通が不便であったため、私たちは東京市中は何処でもてくてく歩かなければならなかった。牛込の監獄署の裏から士官学校の前を通って、市ヶ谷見付へ出て、九段の招魂社の中をぬけて神田の方へ出て行く路は、私は毎日のように通った」

 

と、靖國神社の前身である招魂社などを含めて、具體的な町名や地名が記されてゐて、東京の地理について實に勉強になります。先が樂しみです。 

田山花袋は、「明治四(一八七一)年十二月十三日(太陽暦では明治五年一月二十二日)、上州館林町に田山鋿十郎の次男として生まれた。父は西南戦争に警視庁別働隊として参加して戦死したので、明治一四(一八八一)年ごろ、祖父につれられて上京、家計の足しに丁稚奉公にだされた。京橋南伝馬町の有隣堂という農業関係の書物を扱う本屋が、彼の落ち着き先であった」 

そこに奉公しながらも勉をこころざし、またその交友關係も多彩で、當時の東京の雰圍氣が豐かに傳はつてくるやうです。 

 

今日のピクニック・・今晩はぶらぶらと、妻の言ふがままに、久しぶりにラムちやん散歩コースを歩いてみました。一時間あまり、路地をさまよひ歩きました。町の樣子はラムと歩いた頃とほとんどかはりありませんでした。今夜は滿月でしたが、厚い雲が空をおほひ、まつたく見えませんでした。 

 

今日の讀書・・田山花袋の『東京の三十年』(岩波文庫)と、塩見鮮一郎著『彈左衞門とその時代』(河出文庫)を讀みすすむ。 

 

今日の寫眞・・今日の切り抜き。

 

コメント: 0