三月十八日(金)己亥(舊二月十日 晴のち曇り

 

今日は金曜日。定例の校外學習ならぬ古本まつり學習をしてまゐりました。いろいろと學ぶことが多くあつたのはいつものことですが、きょうは、「古本まつり學習」はそこそこにして、これまた定例になりつつある《散歩に出れば歴史に出會ふ、獨りウオーキング》をしてまゐりました。 

コースは、神保町から淺草までです。昨夜、地圖をつらつらながめてゐて計畫した行程でした。まづ、神保町から靖國通りを小川町に向かつて進み、須田町交差點に出る手前を左折して筋違橋跡を確かめ、古地圖によると、ここからはじまる柳原通りを、その終點でもある柳橋まで神田川に沿つて歩きました。 

筋違橋跡といふのは、思ひ起こせば、〈中仙道を歩く〉第一回の時に立ち止まつて見ました。昌平橋と萬世橋の間に位置してゐましたが、明治四十五年に開通した中央線によつて道路が分斷され、橋も撤去されてしまひました。現在は、神田藪蕎麦のはうから道をたどつてくると、そこは丁字路となつてをり、昌平橋か須田町の交差點の方にしか行けません。 

柳原通りをたどるには、しかし、交通博物館が移轉したあとに建てられたビルの下脇を通つて中央線ガードをくぐり、萬世橋を上野方面に一度渡つてから折り返し渡つてやつと柳原通りに出ることができました。なにせ、横斷道路がないうへに交通量が多い中央通りですので、無理をせずに遠回りいたしました。 

 

さて、神田川に沿つて歩いたと言ひましたが、川岸沿ひにはビルが建ち竝んでゐて、川面はビルとビルの間か、交叉した道路の橋の上から、ときどきながめることができるだけです。最初に山手・京浜東北線と東北・上越・北陸新幹線のガードをくぐり、柳森神社で一休み。 

ところが、實に大きなふぐり(陰嚢)をもつた狸が目に飛び込んできました。あれ、もしかしたら妊娠した雌狸なのかも知れませんが、いづれにせよ、通称「おたぬきさん」と呼ばれる柳森神社は、「春日局に見込まれて、三代将軍家光の側室となり五代将軍綱吉公のご生母となった桂昌院によって創建され、この『他を抜いて(たぬき)玉の輿にのった桂昌院の幸運』にあやかりたいと、大奥の女性の多くの信仰を集めたといふたぬきです。ぼくは、ふぐりに軍配をあげたいと思ひますが、やはり懷妊中なんでせうか。 

そんなぼくのそばにすり寄つてきたものがありました。猫です。恐い顔をしてゐますがとても人なつこい可愛い猫でした。

 

つづいて、昭和通りにかかつた和泉橋を越え、岩本町に入つてきました。對岸は、神田佐久間河岸です。いい町の名前が殘されてゐますね。でも、岸邊は味氣ないビルが亂立、河岸のかの字も思ひ浮かびません。道路沿ひにはそれでも柳の木が植ゑられてゐて、まあ、言はれてみれば、柳の通りだと言へるでせう。 

美倉橋、左衞門橋、そして淺草橋に到着。たもとの、關東郡代屋敷跡の説明板を讀み、一旦橋を北に渡り、淺草見附跡の碑を確認した後、再び南に渡つて、今度は兩國郵便局通りをたどつて兩國廣小路まで進みました。この兩國廣小路は、時代小説を讀めば必ず出てくる場所ですから、イメージを喚起するにしても、現場を見ておきたかつたのであります。楔形に尖つた安全地滯に、確かに「旧跡 両国広小路」といふ石碑が建つてゐました。 

そこから、左手に柳橋が見えましたが、ここまで來たのですから、隅田川にかかる兩國橋のたもとまで行き、行き交ふ舟などをながめながら、ここでも小休止。 

 

柳橋は、井の頭池から隅田川(大川)まで流れる神田川に架かる一四〇橋の最後の橋ださうです。たくさんあるんですね。説明によると、「ドイツ・ライン河の橋を參考にした永代橋のデザインを採り入れ、昭和四年(一九二九年)に完成し」とさうです。まあ、どこの橋を參考にしたかは別にして、實に情緒があつていいですねえ。しばらくみとれてしまひました。寫眞も多く、さう、ステレオ立體寫眞も何組も撮りました。橋の上にたたずむと、船宿とともに、屋臺船たくさん目にとまり、これらも遠近あるいい立體写真が撮れました。 

このあたりから、地圖によれば、隅田川の岸邊にテラスといふ遊歩道があり、淺草まで歩くつもりだつたんですけれど、實際は、耐震工事中で、まつたく通れませんでした。文具資料館も用のない方の入場はできませんなどと書かれてありましたし、途中、藏前工業高校によつて道が閉ざされてしまひ、結局「江戸通り」に出て歩くしかありませんでした。それで、肝心の、「淺草御藏」があつた跡といふか、形跡を垣間見ることも出來ませんでした。 

ただ、榊神社に立ち寄り、明治七年に創設された、官立の圖書館跡である、「淺草文庫碑」を見ることができました。そのほか、御藏前書房をのぞき、うなぎの前川の前でよだれを押さへ、駒形堂でまた一休み。 

 

ここから雷門へ直行できるのですが、もう人混みは避けたいので、東武鐵道の始發驛である松屋デパートに急ぎました。電車はすぐ發車し、牛田驛から京成に乘り換へるつもりでしたが、堀切驛で降り、荒川放水路にかかる堀切橋を渡つて歸路につきました。 

神保町から淺草まで、一〇四三〇歩。家を出てから歸着まで、一五六八〇歩でした。わりと近距離なんだなあと、思ひました。 

 

今日の寫眞・・ステレオ立體寫眞三組。柳森神社の猫。兩國廣小路。柳橋から見た神田川上流の景色。御藏前書房。もう、いつ崩壊してもおかしくはないといふ建物!

 






コメント: 0