三月十日(木)辛卯(舊二月二日弦 曇り

 

今日は木曜日、早めの晝食をいただいてから弓道場へ行きました。車を降りて體育館の入口まで行くとちやうど宮司の坂本さんにお會ひし、受けつけのところまでご一緒しました。ところが、その時、カバンのなかに手帳がないのに氣づき、受付の係の女性に、「認定証」を忘れたことを告げました。そうしたら、あたまから使用を斷られてしまひました。まあ、「認定証」がなければ利用できないのはわかりますが、稽古着を着た姿を見ればわかるだらうに、あまりにも杓子定規ではないかと思ひました。

 たまたまふだん見かけない方だつたからかも知れませんが、以前、いいですよと言つて問題なく使用させてくれたんですけれどね。むろん、顔パスといふのは許せませんけれど、週に一度は顔を出してゐるんですから、入らせてくれてもいいのではないかと、ぼくはいささか憤慨して歸路につきました。 

いつもの受付の女性は、笑顔が可愛いらしくて親切なんですけれどね。まづいときに融通のきかない方にあたつてしまつたんでせう。トラブル日本のことがありますから、騒ぎ立てるのは自肅しました。でも、後刻齋藤さんから電話があつたので、一應傳へておきました。 

 

それで、先日(七日)の〈町名・住居表示變更の問題〉のつづきになりますが、積み上げられた本をちよいと片づけたら、古い東京の地圖や地名に關する本が何册か出てきました。三村淸三郎著『江戸地名字集覽』(名著刊行會・昭和四年發行本の復刊本)と、森林太郎立案『東京方眼圖』(東京春陽堂發行の復刻本 初版は明治四十二年八月發行)、それと、『ポケット東京区分地図帖』(日地出版 發行年不明)の三册です。忘れてたんです!

 

『江戸地名字集覽』は安いだけであまり役立つとは思はないで求めたんですけれど、いざ江戸・東京の町や坂を歩くとなると活躍してくれさうです。また、森林太郎立案の『東京方眼圖』も、使ひやすいとは言へないんですが、調べたり確認するには役立ちさうです。 

兩者を比べて見ませう。例へば、「九段坂」について、『東京方眼圖』では、「クダンザカ九段坂麹町ほ四五」 とあり、「ほ四五」の頁を開くと地圖が出てくるといふ仕掛けになつてゐます(今日の寫眞參照)。地名で場所を調べる地圖の本といふことですね。 

他方、『江戸地名字集覽』には地圖はなく、「九段阪 麹町飯田町二丁目」と、住所が記されてゐるだけで、とても簡素といふか、そつけない書き方です。といふのも、この本は、昭和四年の頃、近々なくなるかも知れないあまり知られてゐない「町名」や「字(あざ)名」や「坂名」などを記録するのに重點をおいてゐるからなのです。ですから、分かりきつた地名(町・字・坂などの名)は、むろん當時の人にとつてですが、省かれてゐて、ぼくにとつてはもつたいなくもあり、殘念でありますです。はい。

 

ちなみに、三村淸三郎著『江戸地名字集覽』の跋文の一節を書き出しませう。

 「私は自分が古い本を見る上に必要を感じて、幼い折の聞覺えや江戸方角の樣なものや、色々集め、とにかく一册に纏めて調法にしてゐた、然し甚だ不完全で、こんなものを版にするのは誠に憚るべきであるが、ものは何か土臺があれば其れを增訂するのは易い、それに近々復興事業が完成すれば東京の地は大變革する其の時新規に調べる事は至難であらう、こんなものでもあれば或は多少のたそくになるかも知れぬ。 昭和四年己巳七月十六日」 

と書いてゐます。こんな奇特な人もゐたんですね。感心しました。

  

また、おかげで、讀書がすすみ、たうとう、「酔いどれ小籐次留書」シリーズ第十九册めを讀み終へてしまひました。あとは、「青雲篇」といふ番外編を殘すのみ。

  

今日の讀書・・佐伯泰英著「酔いどれ小籐次留書」シリーズ第十九册、『状箱騷動』(冬幻舎時代小説文庫)讀了。 

 

今日の寫眞・・古い東京の地圖や地名に關する本。森林太郎立案の『東京方眼圖』より、「九段坂」付近(左上)。それと、我が家に住まふ猫たち。最後は昨日のテレビから。

 




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