三月七日(月)戊子(舊正月廿九日 雨

 

氣になつて仕方なかつた、東京の町名といふか、住居表示について調べてみました。ネットをあれこれ検索したら、けつこうなことが分かりました。 

ただ、それは町名・住居表示變更の問題のみならず、江戸が東京に變はり、さらに東京がいかに現在の形になつたか、それは制度変遷の問題でもありました。きつと、權力者に都合のよい形に定められ、また都合が悪くなると變へられていつたのでありませう。めまぐるしく變はる制度がそれを物語つてゐるやうに思ひます。 

 

*〈住居表示變更問題〉について、まづは歴史年表を確認してみました。 

慶應四年(一八六八年)七月 江戸を東京に改称(この年九月に明治に改元)。

   明治十一年(一八七八年)一月 伊豆七島(静岡県)を東京府に編入。 

同年七月・十一月 東京府は府下を区と郡に分かち、府税収入の多い地に東京十五区を設け、隣接する旧街道宿場および農村部に六郡を置く。 

十五区(麹町区・神田区・日本橋区・京橋区・芝区・麻布区・赤坂区・四谷区・牛込区・小石川区・本郷区・下谷区・浅草区・本所区・深川区) 

六郡(荏原郡・北豊島郡・南豊島郡・南足立郡・南葛飾郡・東多摩郡) 

このとき多摩郡は四郡に別れ、西多摩・南多摩・北多摩の三郡は神奈川県の管轄となる。 

明治二十二年(一八八九年)五月 市制町村制(郡区町村編制法廃止)により東京府下に東京市(市長は府知事の兼任)を設置。旧十五区をもつて市域となす。

昭和七年(一九三二年)十月 府下の五郡八十二町村を東京市に編入し、新たに二十区を増設(品川区・目黒区・荏原区・大森区・蒲田区・世田谷区・渋谷区・淀橋区・中野区・杉並区・豊島区・滝野川区・荒川区・王子区・板橋区・足立区・向島区・城東区・葛飾区・江戸川区)。東京三十五区となる。(補足・この時に多くの町名がなくなる) 

昭和十一年(一九三六年)十月 砧村と千歳村を世田谷区に編入して、現在の東京都区部の範囲が確定する。 

昭和十八年(一八四三年)七月 府県制・市制・町村制改正。東京府と東京市を廃して東京都(三十五区)とする。

 

昭和二十二年三月 敗戦の荒廃から復興するために都心区を統合して二十二区とする。千代田区(麹町区+神田区)、中央区(日本橋区+京橋区)、港区(芝区+赤坂区+麻布区)、新宿区(牛込区+四谷区+淀橋区)、文京区(本郷区+小石川区)、台東区(浅草区+下谷区)、墨田区(本所区+向島区)、江東区(深川区+城東区)、品川区(品川区+荏原区)、大田区(大森区+蒲田区)、北区(滝野川+王子区)、目黒区・世田谷区・渋谷区・中野区・杉並区・豊島区・板橋区・荒川区・足立区・葛飾区・江戸川区。 

同年八月 板橋区から練馬区が分離し、二十三区となり、現在に至る。 

昭和三十七年(一九六二年) 『住居表示に関する法律(住居表示法)』が施行となり、日本中で住所の再編が進み、町名が危機に瀕する。 

昭和三十九年(一九六四年) さらに、東京五輪により、多くの町名がなくなった。

昭和四三年(一九六八年) 郵便番号が導入される。それまでは郵便物の配達にも支障が出たといい、運送業者や新聞社などが住所の再編を要請していた。 

 

*以上が歴史的概要です。以下は、それを踏まへてのいくつかのご意見です。 

一・・東京オリンピックの二年前、一九六二年(昭和三十七年)に施行された国の法に「住居表示に関する法律」がある。この法律により、東京から数多くの町名や地名が消滅、あるいは変更されていった。施行のおもな理由は、オリンピックで来日する外国人に対して、細々とした地名や住居表示が存在するのが「わかりにくいし恥ずかしい」から・・・というものだった。わたしは、この法律を推進した当時の為政者の心根のほうが、よっぽど恥ずかしいし情けない。東京弁でいえば、「恥っつぁらし」な連中だ。自分の地域または街の謂われや歴史が営々とこもる名称を、ことさら貶しめ蔑視してはばからない彼らを、心底「恥ずかしい」と思う。 

東京では、町名の五十六%が変えられたところで、その作業がピタリと止まった。当然のことながら、住民たちがさすがに堪忍袋の緒を切って怒りだし、各地の自治体が抗議の嵐にさらされたからだ。すると、一九八三年(昭和五十八年)に当時の自治省は手のひらを返したように、「住民の意見を尊重し、みだりに従来の町の区域を改変したり、町名を全面的に変更することがないよう指導」することになった。各自治体の態度もコロリと豹変し、「町名尊重」などと言い出すことになる。 

歴史や民俗が豊かにやどる町名あるいは地域名を、国外に対して「恥ずかしい」と思う感覚、わたしには逆立ちしてもとうてい理解できない性根だ。旧・下落合全域にお住まいのみなさん、四十年前の為政者のオバカな妄想などうっちゃって、もう一度ちゃんとした元の町名・地域名にもどしませんか? 十年前なら、郵政省や区内の郵便局がこぞって抵抗したかもしれないが、いまなら代わりに宅配便がキチンととどけてくれるだろう。 

 

二・・住居表示に際してはわかりやすさが重視され、従来からの地名の保護体制がとられなかった。多数の歴史的な地名が消滅したので、戦後の「地名殺し」とも呼ばれる。その後、法律は一部改正された。 

伝統的な両側町、町内会など地域コミュニティとの関連性が失われたため町内会組織や祭りなどの伝統的な組織や風土、慣習などへも影響を与えた。そのため一部の市町村では旧町名復活の動きがあり、実際に金沢市のように一部の町名を復活させたケースも出ている(旧町名復活運動)。 

參考文献 『東京23区 地名いまむかし』(都営バス資料館編)。町名の変遷をまとめた本のやうですが、ネットでみても出品されてゐませんでした。

 

ぼくが手に入れた、『東京都区分地図帖』は、「住居表示法」が施行された、昭和三十七年(一九六二年)の發行です。「東京から数多くの町名や地名が消滅、あるいは変更され」た、その前の表示なのか、後なのか、ちよいと分かりませんが、いきなり消滅・變更されたわけではないでせうから、それ以前の名稱ではないかと思ひます。 

要するに、江戸が明治に變はると同時に、町名・地名は消滅・變更の波にもまれたのでありまして、それは住民の自覺の缺如によることも大きいと思ひました。

 

今日の寫眞・・「〈住居表示法〉で変わった町名」の實例。昨日の切り抜き。立體寫眞二組。




コメント: 0