三月六日(日)丁亥(舊正月廿八日 曇天、一時雨

 

晝から、千住界隈の散策に出かけてまゐりました。北千住驛東口の通りにあるなざわ書店にネットで探しあてた本を受け取りに行く用事があつたからです。岡崎淸記著『今昔東京の坂』(日本交通公社)といふ坂道本です。まあ、それで、ついでに歩き回つてこようと思つたわけであります。 

いつものやうに堀切橋を渡り、柳原千草通りを經て、驛前通りに出、まづはなざわ書店に寄りました。そして、道路をへだてた中華ソバ屋で晝食をいただきました。

 北千住驛は大きな驛です。迷つてしまふくらゐ複雑です。慣れればいいんでせうが、たとへば千代田線を降りて、東武鐵道とか、つくばエクスプレスに乘り換へようとしたら、必ず迷ひますね。今自分がどこにゐるのかが分からなくなるやうな迷路なのです。でも今日は、東口から西口の正面口まで地下道で通り抜けただけですから、迷はずにすみました。 

そして、その正面の商店街を國道4號線に向つて歩くと、途中に左右に舊日光街道が通つてゐます。かつて《日光街道を歩く》で通つた道です。そこを右に曲がり、本陣跡を見て、さらに歩いて、今日の目的地である、水戸街道と佐倉(成田)街道への分岐點を確認いたしました。このところから、成田と水戸への第一歩がはじまります。いつのことになるかわかりませんが、もういつでも出發できますね。

 

ところで、驚いたことに、北千住のこの界隈の町名は、昭和三十七年(一九六二年)發行の『東京都区分地図帖』とみくらべてもまつたく改惡されてはゐないのです。どこもかしこも改惡されたのは、お上にただ唯々諾々の不甲斐なさがさうさせたのだらうと思はざるを得ませんが、さすれば、千住においては何が改惡させなかつたか、ぼくは、地元愛なんて言ふとお尻が痒くなりますが、地元の人々の誇りが改惡を許さなかつたのだと信じたいと思ひます。

 

さて、分岐點確認後、またいま來た舊街道をもどり、さらに千住大橋まで歩きました。《日光街道を歩く》で歩いたところを思ひ出しながら、「奥の細道矢立初の碑」のある大橋までたどり、はじめて堤防を越えて、川岸の遊歩道に下りてみました。いやあ、見どころがたくさんあつて、ここには書き切れません。一つだけ言へば、橋の下に、「將軍家日光門主など高貴な人々が利用していた」〈千住大橋際御上り場〉を發見したことです。その他は省略して、橋を渡り、素盞雄神社にまゐりました。が、境内に入るや否や、巫女さんがそばにきて、時間ですから出てくださいと言ふのです。ぼくは、今まで、神社で追ひ出されたことはありませんでした。しかもどう見ても「未婚の少女」とは言へない巫女さんです。唖然としましたが、とにかく芭蕉の句碑だけを寫眞におさめてそそくさと神社を後にしました。 

歸路は、隅田川沿ひにくだり、先月渡つた千住汐入大橋に出、さらに堀切橋を經て家路につきました。六時半歸着。一八五七〇歩でした。 

 

今日の讀書・・佐伯泰英著「酔いどれ小籐次留書」シリーズ第十五册、『新春歌会』(冬幻舎時代小説文庫)讀了。 

 

今日の寫眞・・すべてステレオ立體寫眞です。柳原千草園の少女像。水戸街道と佐倉(成田)街道への分岐點碑。千住大橋。素盞雄神社の芭蕉句碑。そして、千住汐入大橋際から見た夕景。みな素晴らしい立體像です! 今日だけで、46組の立體寫眞を撮りました。

 


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