二月廿三日(火)乙亥(舊正月十六日・望 曇天のち晴

 

朝食後、齒醫者に出かけてさつぱりとしたあと、机の前に正座し、禮状を三通、伊勢の〈斎宮歴史博物館〉で求めた繪葉書に筆ペンで書いて出しました。例の『感想文集』をお送りした方から、丁寧な禮状をいただいたので、その返禮としてしたためたのでした。まことに有難く感謝といふしかありません。

それで、やつと氣持ちも落ち着いてきたところなのに、トラベル日本からとんでもないメールが屆いたんです。

 

「トラベル日本の永濱です。お手伝いするしないの件があったため、リーダーの皆様、高橋様に送るのもストップさせていました。本日、切手代含めて中村様にお返しする手続きをとりましたので、ご確認をお願いいたします。」

 

つまり、先月末、トラベル日本を通して、中仙道を一緒に歩いてくださつたリーダーと添乘員の方々に送つた 『〈中仙道を歩く〉感想文集』 を、その方々に渡さないで送り返すといふのです。八十六名全員に送る協力ができないといふところまでは、一應分かりました。けれど、トラベル日本のもとで働いた四名の方に渡さないといふ、そんな權限が永濱氏にあるのでせうか。 

う~む、またまた興奮してしまひさうです。さう、明日は、慈恵大學病院への通院日です。どうしませう。今日は誕生日。六十九歳になつたといふのに、前途が危ぶまれます。 

 

今日も終日讀書。佐伯泰英著「酔いどれ小籐次留書」シリーズの第六册、『騒乱前夜』(冬幻舎時代小説文庫)を讀み上げました。今回は、主人公の小籐次が水戸で竹細工といふか行灯を作る指導に出かけるはなしでしたけれど、そこに間宮林藏が、幕府の密偵として登場したのにはびつくり。面白かつたです。 

圖書館からは、全二十册のうち、九册目まで届きました。 

 

(*以下、十九日《國會議事堂をめざす》のつづきです) 

寛永寺橋を渡ると道が平坦になつたと書きましたが、正確には少し下り坂なんですね。それで、ガイドブックや地圖をみると、このゆるやかな坂を寛永寺坂と呼んでいるやうなんですけれど、これは間違ひで、現在は橋の部分が全體に高架になつてゐますが、もとはそこが急な坂道であつたはづなのであります。 

橫關英一著『江戸の坂東京の坂』(中公文庫)で、「寛永寺を右に、谷中墓地の入口を左に、東北方根岸二丁目のほうに下る坂」とあるのがその證據です。 

さて、上野桜木交差點角の喫茶店は、カヤバ珈琲といふ店名ですが、お客が外に竝んでゐないときがないくらゐ繁昌してゐるやうで、ぼくも入りたいと思ひながら、まだ一度もその珈琲を飲んだことがありません。何時か必ず飲んでみたいと思つてゐます。 

そこから下り坂がにわかに急になります。善光寺坂と呼ばれてゐます。意識してみると、けつこうな急坂でして、前をよく見て歩かないと危ないくらゐです。で、その途中にあつた〈手打ち蕎麦やなか〉が目に入つたので吸い込まれるやうにして暖簾をくぐりました。(つづく)

 


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