二〇一六年二月廿一日(日)癸酉(舊正月十四日 小雨のち曇天

 

終日讀書。佐伯泰英著「酔いどれ小籐次留書」シリーズの第四册、『一首千両』(冬幻舎時代小説文庫)を讀み上げ、つづいて、第五册目に入りました。

  

(*以下、十九日《國會議事堂をめざす》のつづきです)

 背面地藏があるお寺は、天臺宗の東光山藥王寺と言ひ、「創建年代は不詳ながらも、改撰江戸志によると天海僧正(寛永二十年・一六四三年没)の開山といいます。境内には日光街道に背を向けた背面地蔵尊が安置されています。根岸古寺めぐり一番札所となっています」と、説明にはありました。 

〈根岸古寺めぐり〉といふのは初耳ですが、「江戸時代に豊島郡金杉村根岸と呼ばれていた地域を中心にした古寺めぐりで」、九寺あり、『朱印帖』も各寺と羽二重團子等で購入可能だといふのですから、これは、永田さんにお薦めしようと思ひました。

 

さて、路地の幅を廣くしたやうな舊街道を歩いていくと、ビルにへばり付くやうに建つ屋敷門。名稱は分かりませんが、かつての屋敷の顔だけ殘されたといつた感じです。區堺を進んでいくと、さらに細いくねくねした路地に入つていきました。すると、〈隕石ショップ〉なるお店、といつても民家の、しかも二階で販賣してゐるといふのですが、石好き隕石好きのぼくでも入りにくくて素通りすることにしました。

 

その路地が盡きたと思つたら、不動尊に突きあたりました。何やらたくさんの見どころがあるやうで、目移りするほどです。まづ、〈御行の松〉なるものに目を向けました。 

「根岸御行の松は、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれています。江戸名松の一つに数えられ、根岸四丁目の西蔵院不動堂の境内にあります。この松は、樋口一葉の作品『琴の音』や子規の俳句の題材にもなりました。初代の松は樹齢三五〇年を経た後枯れてしまい、現在は昭和五十一年に植えられた三代目の松になります」。 

このやうに、現在は三代目ですが、「その初代がここに祀られてゐて、不動尊なのは、初代の木の一部で不動明王を彫り、それを祀っているからです」とありました。ふ~む。 

境内には他に、狸塚なるものが鎭座し、その脇には確かに正岡子規の句碑、「薄緑お行の松は霞けり」が建つてゐました。 

また、西蔵院は著名な作家の小説にも登場してゐるやうで、池波正太郎の『鬼平犯科帳十五』(文集文庫)の一場面に西蔵院が登場。『九鬼周造随筆集』(岩波文庫)にも、文人哲学者である九鬼周造が根岸に住居を構へてゐたこととともに、根岸の町竝みの樣子が書かれてゐるやうです。いづれ確認してみたいと思ひました。(つづく)

 



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