二月二日(火)甲寅(舊十二月廿四日 晴

 

夕べは眠くて眠くて、一一時頃には寢てしまひ、そのかはり、今朝は六時に目が覺めてしまひました。と同時に、ふと思ひ浮かんだのが、岸本先生の《中仙道69次資料館》に、『歴史紀行 中仙道を歩く』を揃ひでお送りしよう、といふ思ひでした。

 實は、先生には昨日、中仙道の旅のために集めた中仙道に關する資料を受け取つていただけないかと、お傳へしたところだつたんです。そして、それならば、ぼくの『中仙道を歩く』も置いてもらつてもいいかなと思ひたつたのでありました。 

ところが、今のままでは、『歴史紀行』の中の「中仙道」ですから、途中に「菅原道眞紀行」やら、「我が家の古文書發見!」やらが入つて、順番が不規則です。それで、中仙道の旅だけを抜き出して、通し番號といふか、『歴史紀行 中仙道を歩く』として、まとめ直さうと思ひたつたのであります。 

ところが、中身をちよつと見たら、當時まだパソコンに慣れてゐなかつたんでせう、書式がまつたく整つてゐないんです。たとへば、ホームの行間のオプションを開くと、配置が兩端揃へになつてゐなかつたり、字下げが放置され、行間の固定値が定められてゐなかつたりで、ばらばら。また、どうしても書き換へたはうがいいと思はれる表現が目に付いたりして、でも、それを正しながら讀み直していくのが面白くなり、今日はそれでも『歴史紀行 中仙道を歩く(三)』まで編集作業が進みました。 

 

今日の讀書・・小松英雄著『みそひと文字の抒情詩~古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院)繼讀中。

  

今日の寫眞・・懐かしい〈中仙道を歩く〉寫眞。志村の藥師の泉と、戸田の渡しを渡つたところの水神社と、浦和宿の玉藏院、それと大宮宿の鹽地藏前です。みな、川野さんが寫つてゐるやうなんです? この頃は、まだお名前も知らないし、言葉を交はすことすらしませんでした。まあ、それは他のどの人にしてもさうでしたけれど、どうしてみなさんお互ひに知らんぷりしてゐたんでせうか。とても不思議です。