正月八日(金)己丑(舊十一月廿九日 晴

 

今日はぼくの第二のご公務。金・土と開かれる、東京古書会館新年初の〈古書即売展〉に行つてまゐりました。でも現在は、小松英雄先生のご本にぞつこん状態ですから、その他のことへの關心はちよいとお休みしてもらつてゐます。そんなで、今日は、ぼくを待つてゐたのかと思はれる、『寸松庵色紙』と『西本願寺三十六人集 伊勢集』、それと、『荷風ノ散歩道』といふ、市立市川歴史博物館から出された圖録が目に飛び込んできたので求めました。 

ちなみに、はじめの二册子がどんなに貴重なものか、本から寫すのは辛いので、ネットの解説を利用させていただきました。日本大百科全書(ニッポニカ)その他です。 

 

『寸松庵色紙すんしょうあんしきし』 

イ・・「継(つぎ)色紙」「升(ます)色紙」とともに三色紙の一つに数えられる古筆中の名品。平安後期(11世紀後半)の書写と推定される。『古今和歌集』の四季の歌を書いたもので、料紙には白、藍(あい)、茶などの具引き(胡粉(ごふん)引き)地にさまざまな型文様(亀甲(きっこう)、草花、唐草(からくさ)など)を雲母(きら)で刷り出した舶載の唐紙(からかみ)を用いており、もとは胡蝶(こちょう)装の冊子本。近世の初め、その断簡36枚が堺(さかい)の南宗(なんしゅう)寺の襖(ふすま)に貼()られていたが、うち12枚を佐久間将監実勝(さくましょうげんさねかつ)15701642)が掌中にし、歌意を描いた扇面とともに帖(じょう)に仕立てて愛蔵、没後は菩提(ぼだい)寺である大徳寺塔頭(たっちゅう)竜光院(りょうこういん)の茶室・寸松庵に施入された。命名はこれに由来する。現在は諸家に分蔵。強靭(きょうじん)で充実した線の美しい連綿、小さな空間に広大な宇宙を感じさせる絶妙な散らしは高く評価されている。紀貫之(きのつらゆき)筆の伝承はむろん誤りである。[尾下多美子] 

『小松茂美監修『日本名跡叢刊49 寸松庵色紙』(1981・二玄社) ▽飯島稲太郎編『平安朝かな名蹟選集5 寸松庵色紙』(1956・書芸文化新社)』

 

ロ・・『古今和歌集』の写本の断簡 (きれぎれになった書き物) 。江戸時代の茶人で織田家家臣の佐久間将監真勝が,大徳寺内に造った隠居所寸松庵に,12枚を所蔵していたことからこの名がある。もと冊子本であったが1紙ごとに分断され,現在は諸家に所蔵される。 

 

『西本願寺三十六人集』 

イ・・西本願寺本三十六人家集(にしほんがんじぼん さんじゅうろくにんかしゅう)は、三十六歌仙の和歌を集めた平安時代末期の装飾写本である。三十六人家集のまとまった写本としては最古のもので、国宝に指定されている。京都市・西本願寺(浄土真宗本願寺派本願寺)の所蔵。

 

ロ・・藤原公任の《三十六人撰》に収められた,三十六歌仙の各家集の集成。《歌仙家集》とも。成立は11世紀中頃と考えられており,編者不詳。伝本の種類は多いが,12世紀初頭の成立という西本願寺本が本文の信頼度も高く,料紙の豪華さ,書の美しさでも名高い。

 

ハ・・藤原公任(きんとう)撰「三十六人撰」所載歌人の家集の集大成。平安後期の成立か。写本のうち,西本願寺本は美術史・書道史・国文学上きわめて価値が高く,国宝。 

 

以上、ちよつと怠けてしまひましたが、よく分かる解説でした。しかもこの二册子、それぞれ三百圓で手に入れることができたのです。お金をかけなくても勉強できる見本みたいなものですね。 

たぶん、ぼくが求めた『寸松庵色紙』は、イの終りに記されてゐる「書芸文化新社」から出されてゐるものと思はれます。 

 

今日の讀書・・小松英雄著『古典再入門 「土左日記」を入口にして』(笠間書院)讀了。つづいて、『仮名文の構文原理[増補版]』(笠間書院)を讀みはじめました。難しさうですが、『伊勢物語』や、『古今和歌集』や『枕草子』、『源氏物語』、『徒然草』などのテクストに即して語られるので、その變體假名の原文と照らし合はせて讀めば、これからの讀書とお習字のためにはこれ以上ない効果があるでせう、と期待してゐるのであります。 

 

今日の寫眞・・『荷風ノ散歩道』と『寸松庵色紙』・『西本願寺三十六人集 伊勢集』。三枚目と四枚目は、それぞれの中身の頁。そして今日の切り抜きです。

 



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