十二月卅一日(火)壬申(舊十一月十二日 晴

 

朝食事をしながら、TVのチャンネルを回してゐたら、ラムが映つてゐたんです。テレビ番組表を見たら、「名犬ラッシー」でした。いやあ、ラムかと思つて胸が震えてしまひました。ちよいと間延びした鼻先で、しかも白線が入つてゐて、よく見れば違ふのでしたが、目元といひ、首のまはりの白いショールのやうな毛の具合といひ、ラムととてもよく似てゐました。 

 

今日も一日、大晦日といつてもふだんと變はりありませんでした。ただ讀書に没頭して過ごしました。小松英雄著『丁寧に読む古典』(笠間書院)です。没頭といひましたが、その實態は、のめり込んでしまふくらゐ面白いし、よく分かるし、目からうろこが何枚も落ちて、これからの讀書や勉強のためにどれだけ役立つか分からないくらゐ有意義な内容なんです。例へば、『土佐日記』の冒頭をどう解析理解するか。 

「をとこる日記といふもをゝむなもんとてするな」。 

これが原文(を寫した寫本)です。つまり、「も」「な」「の」「し」「み」「り」の變體假名は現代の假名に變へましたが、濁點も句讀點もなく、漢字も「日記」だけに限られてゐます。これをもつて、紀貫之が女性のふりをして書いたものだと説明されてきた冒頭の一文です。 

それが、現在手に取つて讀める文庫本等ではどう書き表されてゐるか。 

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」 

のやうに漢字を増やしたり、句讀點をつけたりして書き直されてゐます。現代の讀者に理解しやすいやうにといふのでせう。ぼくもこの文章に引きずられて理解してきました。でも、これは、著者が意圖したことの半分にしか過ぎないし、それをこのやうな現代文は覆ひ隠してしまつた、と小松英雄先生はおつしやるのであります。 

實は、「ゝむなもし」は「女文字」を連想させるやうに、「をとこもす」は「をとこもし」(男文字)を連想させてゐるのだといふのです。それは、濁點と句讀點がないことによつて可能であり、そして、そのことを意圖的に利用して、意味を重ね合はせることに成功してゐる、といふのであります。男文字(漢字)で書かれてゐた日記を女文字(假名)で書いて見ようといふ意味が潛んでゐたんですね。紀貫之さん、今までどれだけ長いあひだ、女に扮してゐたと言はれつづけてきたんでせう。あ~あ、可哀想! 

男文字は漢字のことで、當時の貴族はみな漢字で日記を書いてゐたわけです。もちろん日記だけではなく、公文書も、そして詩歌も漢字でした。なにしろ、嵯峨天皇が「唐風文化」一邊倒でしたからね。それが、菅原道眞さんによつて遣唐使が廢止され、それとともに和風文化の興隆をもたらしたんです。 

そのやうな動きの中で假名が考案され、使用されはじめ、そのとき、萬葉假名では、「ス」には「須」、「ズ」には「受」が當てられてきたものを、濁音を表示しないことによつて、あへて淸音と濁音とで二重の意味を含蓄させることを考案といふか發見したんですね。だから、濁音をなくすことによつて、逆に濁音とした場合の意味をくみ取りながら讀む作業が必要になるであります。といふことが、ぼくにも薄らと分かつてきました。 

この『土佐日記』の冒頭の場合は、淸音と濁音の問題ではありませんが、どこで區切るかによつて、語のまとまりと意味合ひが異なることがあります。特に和歌なんかは、假名だけの文字によつて記され、意圖的に表面の讀みの裏に異なつた意味を潛めることができるやうにしたんですね。これはすごいことだと思ひます。ですから、小松先生は、特に從來の和歌の解釋は大變不十分だし、誤つてゐると、はつきりと申してをるのであります。あ~、疲れた。 

 

今日のピクニック・・それでも、夕食後、今晩も妻と出かけました。お花茶屋からV字形に引き返し、綾瀨方面に向かつて香取神社まで歩きました。大晦日だからなんでせうか、人が少ないですね。お花茶屋の商店街なんか閑散としてゐました。昨日より遠出したので、五六二〇歩でした。 

 

今日の讀書・・小松英雄著『丁寧に読む古典』(笠間書院)。日記本文参照。  

 

今日の寫眞・・ラムと思つた名犬ラッシー。小松英雄著『丁寧に読む古典』。大晦日の夜の散歩で訪ねた町角の光景。クリスマスツリーと門松を兼ねた飾りが面白かつた。まだ人氣のない香取神社。それと、我が《東京新聞》切り抜き數枚!

 




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