十二月十一日(金)辛酉(舊十一月朔日・朔 雨強風のち晴

 

今日、『北國街道を往く(三・前編)』の本文が仕上がりました。が、問題は〈註〉で、一茶のことや、「異安心」問題についてあれこれ書いてゐたら、それだけで一日が過ぎてしまひました。まだ、一茶についてはもう少し調べたいと思ひます。

といふのは、どうもぼくは一茶について誤解といふか偏見をもつてゐたやうなのでありまして、そこを正さなくてはならないと思つたからです。藤沢周平や田辺聖子の一茶ものは讀みましたが、それもずつと昔のことです。

例へば、『父の終焉日記』を讀みますと、それは「純粋な生活記録ではない」と言はれてゐるんですが、角川文庫版の〈補注〉に注意を向けてみると、一茶がどれだけの佛典やら古典を讀んでゐたかが分かります。新古今和歌集、荘子、法華經、涅槃經、近松門左衛門、海道記、奥の細道、源氏物語、義經記、阿含經、千載和歌集、詩經、和漢三才圖繪、野ざらし紀行、萬葉集、古今和歌集、徒然草、文選、孟子、寶物集、無名抄、拾遺和歌集、元輔集、後拾遺和歌集、今昔物語集、和泉式部集などなどです。

一茶なんて、と輕くあしらふむきもあるやうですが、いやいや、これだけの素養といふか教養に裏打ちされた批判なり評價がなされてきたんでせうか。

改めて、江戸へ出てきてからの一茶の生活とその努力を見つめてみたいと思ひました。

 

今日の寫眞・・TVで見た嵐山の紅葉と野坂さん死去の記事。

 


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