十一月廿二日(日)壬寅(舊十月十一日 晴

 

今日もまた横になり、からだから汗を絞り出す努力をしながら讀書に集中しました。小林一茶 『おらが春』 の和本を讀み進んだことは進んだんですけれど、そこで面白いことを發見しました。岩波文庫は實は文字が小さすぎるので、文庫本と同じサイズなんですが、ちよいと讀みやすい、大正十四年に出版された春陽堂版の文庫本を照らしあはせて讀んでゐたら、そこに伏せ字が出てきたんです。

和本では伏せ字はなく、すらすら讀めてゐたところ、とある判讀しにくい文字を知ろうとして見たところが、そこに伏せ字があつたんです。何だと思ひますか。伏せ字といふのは、印刷して多くの目に觸れることを避ける、といふより、讀ませないために印刷しない部分のことです。當局の、つまり官權の手によつて伏せられてしまつたことを表してゐます。大正十四年の時代にも秘密法(?)があつたのでせうか。

〈今日の寫眞〉を比べ見てわかるでせうか。 ───── が伏せられたところです。和本によれば、まあ、卑猥な、いや露骨な描寫とでも言ふんでせうか、その部分が伏せられてゐるんです! すごいですよ! いやいや、くづし字が讀めない人には、殘念ですがあきらめてもらひませう。

と言ひたいところですが、岩波文庫版では讀めますからお好きな方はお讀みください。けれども、僕もこのやうな露骨な檢閲を目にしたのははじめてですね。

 

ところが、午後、ネットで注文した、若桑みどり著『女性画家列伝』(岩波新書)と川又一英著『ニコライの塔 大主教ニコライと聖像画家山下りん』(中公文庫)が届いたので、山下りんさんに關するところを讀みはじめたら、いや、ベッドの上に正座をしてしまひました。こんなすごい人がゐたのかといふ驚きとともに、イコンといふものにまつたく關心を持たなかつた自分の淺はかさにあきれてしまつたからです。

若桑さんのご本のりんさんに關する部分は、イコンの繪畫史上における位置を簡潔に敎へてくれました。その章の題名がなんと、「大いなる無名者の芸術」です。

「私たちは今、芸術とは自我主張の極限の形式だと思っている。しかし、人類の芸術の歴史を見ると、作者がその作品に名をしるすものよりも、名を残さないもののほうがはるかに多い。・・キリストを描いた「聖画像(イコン)」は、「芸術作品」ではなく、キリストという目に見えない神性の、目に見える形における顕現のひとつであり、・・「画家」は、神の道具にすぎない。・・個人的芸術的創造行為ではない。」

このやうに、「個性を罪悪視し、自我を殺して、神性を同型の中に描きつづけるイコンの学習は、彼女を失望させた」。にもかかはらず、りんさんは歸國後、およそ一五〇點のイコンを描きつづけたといふのです。

また、川又さんのは、飛び飛びに讀んでゐるところですが、いやあ、すごいといふか感銘を受けてゐます。同じキリスト教なのにまつたく知らない世界でした。

山下りん(安政四年・一八五七年~昭和十四年・一九三九年)は、幕末の笠間藩の下級武士の家に生まれ、明治政府が設立した工部美術學校に入學。近代繪畫を學びますが、學生時代にロシア正教會のニコライから洗禮を受け、ロシアのペテルブルグの修道院で五年間イコン(聖像畫)を學んだのでありました。

歸國後、イコン畫家として、明治から大正にかけて建てられたロシア正教會の聖堂のために、多くのイコンを描きました。このやうに、イコンに生涯を捧げたりんでしたが、大正七年(一九一八年)、六十一歳の頃、笠間に歸郷後は一切繪筆をとることはなく、晩年は笠間で悠々自適な生活を過ごしたといはれてゐます。

明日、その日本最初の女流洋畫家であるりんさんの關連資料收藏館である白廩居(はくりんきょ)をお訪ねするのであります。まことに付け刃でしかありませんが、まづは出かけてみたいと思ひます。

あれ、でも本筋は親鸞聖人の史跡探訪なんですよね。こちらももちろん眞劍に臨むつもりです。それにしても、今晩がんばつて汗を流しきつてしまはなくてはなりません。

 

それと、今日、トラベル日本さんから、「ツアー募集終了のお知らせ」が屆きました。いやあ殘念ですね。ぼくは、個人的にとてもお世話になりましたから、特に思ひます。

 

今日の寫眞・・小林一茶 『おらが春』 の和本と伏せ字のある春陽堂版の文庫本。それと若桑みどり著『女性画家列伝』(岩波新書)と川又一英著『ニコライの塔 大主教ニコライと聖像画家山下りん』(中公文庫)。

今月十八日に亡くなられた、「源氏物語研究の権威」であられた、秋山虔さんの『伊勢 王朝女流文学の誕生』(ちくま学芸文庫)。これも本日屆きました。

 

 



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