十一月十六日(月)丙申(舊十月五日 晴

 

弓道場へ行きました。最近はなんだかお作法を忘れないために通つてゐるやうな氣がして、このままではいけないなと思ふことしきりなんです。少しでも上達するためには、週に二日、或いは三日はお稽古しなくてはいかんと思ひはじめたのであります。

まあ、先生もみなさんも優しいので、甘えてゐたのかも知れません。要するに自分で自分を嚴しくしないと、どのやうな「道」も上達は期待し得ないのでありませう。

 

夜、NHKテレビで、「クローズアップ現代『緊急報告 パリ〈同時テロ〉の衝撃』を見ました。この事件のニュースに接して、まづはじめに思ひ浮かんだのは、人類の歴史の歩みのしわ寄せによつて生まれた、虐げられてきた人々の憤懣が、ここにきて一度に噴火したといふ印象でした。これからの世界がどうなるのか、ほんとうに分からなくなりました。

また、つづけて、放送大學の「和歌文学の世界」を見ました。「第七回 藤原定家の方法」といふテーマでした。よく分からないところもありましたが、和歌はもちろん、古典文學を理解し分かるためには、廣くて深い素養と教養がなくてはならないことを敎へられました。

例へば、定家の「春の夜の夢の浮橋とだえして 峯にわかるる横雲の空」。この和歌で取り上げられた「春の夜」とか「夢の浮橋」とかの言葉について、それが「本歌取り」とか、漢詩文を踏まへての表現だとか、『源氏物語』のある帖とその中の場面を前提にして語られてゐるんだとか、いやはや和歌一首を味はふためには、過去の教養遺産のすべてが動員される、さういふ世界なんですね。これでは素人はなかなか潜り込めませんです。

でも、江戸時代までは、これらの教養が生きてゐた事はたしかで、物語文學や俳句はもちろん、川柳や狂歌、落し咄にだつて出てくるんです。それらのすべてを根こそぎにした明治維新と文明開化とはいつたいなんだつたんでせうか。中國の文化大革命を笑へませんよ。まつたく同じ事だとぼくは思ひます。悔しい!

 

今日の讀書・・ぼくは、歴史紀行について、中仙道が終りましたので、すでに間がだいぶ空いてしまひましたが、「菅原道眞紀行」につづいて、「紀貫之紀行」にしようかなと心密かに案を練つてゐました。けれども、むしろ『古今和歌集』そのものについてのはうが、その時代を廣く深く觸れることができるのではないかと思ひはじめてゐます。それで、苦手な和歌の世界にちよいと首を、でありませんね、指先をそつとのばしはじめたんです。

ところが、先日、古本市でわづか百圓で手に入れた、片桐洋一著『日本の作家7 恋に生き歌に生き 伊勢』(新典社)といふ本を讀みはじめて、紀貫之と同時代に生きた素晴らしい(?)伊勢と呼ばれた女性がゐたことを知りました。それがまた、「恋に生き歌に生き」た女性であり、ご存知『百人一首』にもご登場、いやいや、『古今和歌集』では女性のうち最も多くの歌が採られてゐるのがこの伊勢なんです。ちなみに伊勢に次いで多いのはお馴染みの小野小町です。

しかも、伊勢の歌は、後の時代の紫式部も讀んでゐて、『源氏物語』を讀むうへでも、伊勢の存在は缺くことができないんですね(例へば〈桐壺〉)。『古今和歌集』と『源氏物語』をつなぐ意味からも、それに、當時の宮廷社會を知つておくためにも、少し氣を入れて讀んでみたいと思ひます。

 

今日の寫眞・・弓道場でのお稽古の樣子。

 



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