七月七日(火)甲申(舊五月廿二日・小暑・七夕 曇天のち小雨

 

今日は外出したくなつたので、トラベル日本に寫眞を屆けるのを口實にして家を出ました。六月の「中仙道を歩く」で撮つた、竹生島での記念寫眞を參加した方々にさしあげるためです。いや、みなさんが、七月も第三陣に参加されるならその時にお持ちすればいいのですが、月によつては三回あるうちの一陣や二陣に參加してしまふ方がをられるので、第一陣が出發する前に届けたかつたからです。ただし、すでにメールで送ることができた方の分ははぶきました。

堀切菖蒲園驛で上り電車を待つてゐると、下り電車のはうがはやくきて停車しました。何となく見てゐると、それは、「宗吾参道」行きでした(寫眞一)。さうだ、佐倉惣五郎についても調べなくてはならないなあと、あれこれ思つてゐるうちに、上野驛に着きました。

“トラベル日本”は、銀座線の京橋驛を出た、中央通りと鍛冶橋通りの角のビルの四階にありました。いい雰圍氣でしたよ(寫眞二)。寫眞の束を、永濱さんに、山寺さんにお渡しくださるやうに託してビルをあとにしました。

さあ、これでただで歸つたのでは、何の外出かわかりません。それで、地圖を思ひ浮かべて、鍛冶橋通りを皇居に向かつて歩きはじめました。東海道本線のガード下をくぐり、東京國際フォーラムの前を過ぎると、ビルの谷間に緑の皇居外苑が見えてきました。

その途中です、左のビルのガラス窓に、證券會社の電光掲示板が光つてゐたのです。のんびりとした氣分だつたからでせうか、ふと遠い昔のアルバイトを思ひ出してしまひました。明治學院在學中でしたが、上野にあつた山一證券で働いたことがあるんです。その仕事といふのは、證券マンが群がる大きな部屋の正面の臺の上で、縱横にずらありと竝んだ銘柄の下に立ち、スピーカーから流れてくる聲にあはせて、その銘柄の最高値と最低値、そして現在値を書き込んでいくのです。その外は消していきます。ところが、聞き漏らしたのがあつたやうで、たまあに、「おーい、どこどこの最高値がぬけてるぞ!」 なんて怒鳴られたのを懐かしく思ひ出しました。

けれども、この仕事は今はないのでせう。電光掲示版になりましたからね。ぼくにとつては、まるで、何て言つたらいいのか、一種禪の修行のやうなアルバイトでした。無心に立つてゐなければ、聞き漏らしてしまふからです。そして、聞こえたら何も考へずに、その銘柄の下に數字を記入するのです。無心と言ひましたが、そのやうに一人で立つことができるまで、先輩のもとで一週間くらゐは迷ひつづけてゐたやうの思ひます。

馬場先門にやつてきました。振り返ると、たぶんGHQ司令部があつた建物でせう、かつては巨大なビルに見えたのが、今は回りのビルの陰になつてゐます。前方に目をやると、雨がポツリときはじめ、二重橋のはうは霞んでゐます。さうだ、と思ひ直して、左の緑地に入つていつたところ、そこは觀光バスのたまり場なんでせう、ざつと數へても三十臺ほど竝んでありました。ほとんどが外人觀光客のバスのやうです。

そこに、例の楠正成像がありました(寫眞三)。記憶に間違ひありませんでした。前にこの像のもとにきたのが、靑山學院に進んだ頃だつたと思ひます。明學で一緒だつた森口君が、郷里に近い岡山の西大寺高校の教師となり、その修學旅行の引率でやつてきたんです。前の晩は、東京大學近くの旅館に、ぼくも泊まらせてもらひ、その翌日ともにやつてきたのが、楠正成像でした(寫眞四)。結婚する前ですから、あれから四十四、五年になるんではないでせうか。

いや、感傷にひたつてゐては進みません。祝田橋から、櫻田門前に出て、そこから見える國會議事堂までまつすぐに歩き通しました(寫眞五・六)。前回は、議事堂の裏の道を通つただけでしたので、今日は、なんとしても正面から見据えてやらうと思つたわけであります。

いやいや、警察官の多いこと。角々に立つてゐます。もちろんやましいことなんてありませんよ。でも、通りかかるたびに見られると、實に嫌なものですね。寫眞を撮つてそそくさと歸路につきました。さう、今日は「包圍行動」はありませんので、子どもたちの見學があつたくらゐで靜かなものでした。でも、議事堂の中は燃えてゐるでせうね。今日は開かれてゐないやうですが、安倍ドルフ晋三ヘビに飲み込まれた公明党と維新なんとやら以外の野党の議員にはなんともがんばつてもらはなければなりません。

永田町驛に着いたころには、だいぶ雨粒が大きくなつてきましたが、滑り込みセーフで、地下にもぐり、そのまま神保町へ直行、資料を探して歩き回つてきました。靴ずれも完治したやうで、ひと安心です。

京橋から永田町驛までが約四〇〇〇歩、今日一日では、九八〇〇歩でした。

 

今日の讀書・・昨夜、四月廿六日から讀みはじめた、『小倉山庄色紙和歌(百人一首古注)』(新典社)を讀み終へることができました。一册一册讀むほどに、くづし字の讀解力もついてきたかなと、ちよいとうれしい氣分です。

 

今日の寫眞・・一から六までは本文参照。ただ、モノクロの楠正成像について言へるのは、昔とかはつたのは、ぼくのひげの色と、銅像の背後に林立するビル群がないことでせう。

 最後の一枚は、入手した資料! 右から、謹呈したのに賣られてしまつた小澤昭一。くづし字本は、一休さんの『目なし草(一休水鏡注)全』(和泉書院)。左は、それこそ面白さうで、五百圓でしたので購入。たしかに興味深い内容です。

 あッ、忘れるところでしたが、岩波ブックレットの『浄土真宗の戦争責任』といふのも見つけたんです。政治が亂れたときの宗教のあり方が鋭く問はれる内容です。公明党も、「公明党の戦争責任告白」を出さないですむやうな道を歩んでいただきたいと心から思つてをるのですが、このままではどうでせう?

 



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