二〇一五年七月(文月)一日(水)戊寅(舊五月十六日 終日小雨

 

お晝前、本を讀んでゐると、妻に、一緒に綾瀨へ行かないかと誘はれました。乃里子さんが描いた墨繪(南畫)の額のマットを取り替へに出したのが出來たので、取りに行くといふのです。三十數年も前に書いてくださつた、「ふくろう」と、濱岡で竹の子掘りをした、その収穫した竹の子を描いてくださつた、良寬の「林間倒指已六十」の繪です。ぼくたちにとつては思ひ出深いとても貴重な額ですので、少しかびが出てきたマットを取り替へたのです(注)。

ところが、場所がまづかつたのかよかつたのか! そこは、「書道・水墨画用品販売」のお店で、高價さうな筆や硯などが竝べられてゐて、とくに、土佐の「中村硯(一水作)」といふのがいくつも賣られてゐたんです。妻が、それを見せて、「買ひたいのある?」 といふのです。ぼくは、正直に選ばせていただきましたです。はい。すでに使用してゐるのが大きいので、小ぶりのものを手にとりました。それと、イタチ毛の筆も手に取つてしまひました。

明日は書道教室の日です。心もうきうきと出かけたいと思ひます。

(注)乃里子さんは、『ひげ日記』ホームの「良寬のうた暦二〇一五」を描いてくださつてゐます。

 

先日、思ひ切つてみなさんに送つてしまつた『ひげ日記』ですが、その六月二十九日のぼくの「書評」(?)に對する感想が多數寄せられましたので、敬意をもつてそれらを掲載させていただきます。まあ、お名前は控へますが、よき友人たちの應答です。

 

イ お便り感謝いたします。

ご紹介の本読みたいと思っています.丸谷才一の本は、最近は随筆を読んでいます。初めて読んだ「エホバの顔を避けて」の印象はいまも鮮やかに残っています。

最近、『モア・エラスムス書簡集」が、岩波文庫で出たので、読んでみたいと思っています。ユマニスムの巨匠たちはどんな会話を交わしたのかをたのしみに、、、

 

ロ 中村君

紀行文ならびに日記を送ってくださり、感謝です。二十九日の主張、同感です。

 

ハ お早うございます。メール ひげ日記、拝受しました。今プリントアウトして読みました。

お雪ばあちゃんの話しにはびっくりしました。チョウスウ、のためには死ぬな、という言葉。 

先日、奥州街道歩きで、那須塩原のお寺に行った時に、戊辰戦役で帰国途中の高知藩士年齢は二十一歳、がここで死んだのを葬ったお墓を見たのですが、何と、そこには、官軍・・・・、と死者の名前の上に、わざわざ官軍、と彫ってあるのです。 

戊辰戦争で、賊軍とされた会津や鶴岡の人たちの無念を思えば、わざわざ官軍等と言う言葉をいれる必要がないのに、と腹立たしい想いがしました。 

そこで、私は、みんなに聞こえるように、長州の馬鹿共がこんな風にして、天皇の威を借りて、あるいは利用して国民を支配して行ったのではないかと言ったのですが、理解した人は少なかったように思いました。 

今回のこの話は、もっともっと皆さんに知って頂きたいと私も思いました。あの馬鹿な安倍総理が、自分が天下人に成ったような言動を見聞するにつけ、悔しいやら情けないやら、ここに来てやっと、自民党のOBが物を言い始めたようですが情けない有様です。

 

ニ 六月二十九日のひげ日記読まさせていただきました。

吉田松陰 山形有朋 そして岸信介と続く 大東亜思想とでもいうべきものが、安倍一派の根幹にあること。例えて言うなら町のチンピラやくざが、突然武闘派に変身し、しまを大きくひろげたのはいいが、強大なアメリカという組にケンカを売って完膚なきまでに叩きのめされた。彼らはそのことを反省はしているが、それはアメリカという強大な組に歯向かったという点につきるわけです。

その教訓から、アメリカには絶対に逆らわない いいなりになる 一方戦前の行為を正当化したい。アメリカさん 俺たちは、おたくには絶対に服従だから、国内では、少しくらい昔を正当化するのに目をつぶってよ。安倍のつぶやきでしょう。

 

今日の寫眞・・妻贈り物、土佐の「中村硯(一水作)」。

 


コメント: 2
  • #2

    ひげじゅん (金曜日, 03 7月 2015 17:21)

    いや、面目ありませんです。はい。

  • #1

    (金曜日, 03 7月 2015 15:02)

    夫の目つき、顔つきを見て、とっさに海よりも深く、広い慈愛の言葉を発せられたご令閨、
    素晴らしいのひとことです。