五月廿九日(金)乙巳(舊四月十二日 曇天のち雨、つづいて霧雨

 

今日は、ぼくの人生において初體驗がありました。フィットネスクラブに行つたのです。妻が通つてゐる四つ木のメガロス葛飾といふところですが、プラチナフィットネスといふ、參加費が補助される、何やら葛飾區の高齢者支援事業のひとつのやうなのであります。二箇月間で十二回利用できる、いはばお試しコースみたいなものですね。妻が見つけてきて、しきりに薦めるものですから、斷りきれずにやるはめになつたのであります。

まあ、今日は試乘會ならぬ、施設の説明會でしたが、その設備の豪華さ、それはそれは至れり盡くせりで、がんばつてみようといふ氣にさせる趣向が隨所にこらされてゐるのであります。いくつか試してみましたが、たしかに足腰を鍛へるにはいいやうです。ただ、ぼくの人生にどれだけの意味があることなのか、やつてみなければ分かりませんです。はい。

 

また、母を見舞つたあと、こんどは、綾瀨驛の整體のお店に行きました。いつもアイスクリームを食べながら横目で見てゐたところなんですが、足でも揉みほぐしてもらはうかと入つたのです。が、そのとたん。さうだ、首筋もこるし、左肩がしびれることも思ひ出し、結局は首筋や腰の歪みやらが明らかになつたので、全身の整體と揉み揉みをしてもらひました。あ~あ、氣持ちよかつたです。これは、くせになりさうです。

そんなことで、ワード版『歴史紀行四十九 中仙道を歩く(廿七)』(赤坂宿~醒井宿)執筆のための作業はほとんどできずに終はつてしまひました。

 

今日の寫眞・・二十六日に訪ねた史跡の數々。まづは、日本のピラミッド、岐阜縣下最大の晝飯(ひるひ)大塚古墳。つづいて、國史跡の一里塚は、この垂井一里塚と志村一里塚のみといふ貴重な一里塚です。それと、關が原合戰の際、徳川家康が最初に陣を張つた桃配山の陣跡。

 


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