五月廿七日(水)甲辰(舊四月十日 晴、暑い

 

中仙道を歩く、二日目です。

關ヶ原駅をスタートするとすぐに、古代三關の一つ、不破の關跡と資料館を見學しました。このあたりには壬申の亂の史跡が多く、大海人皇子の「兜掛石」や、流血で川底が黑く染まつたといふ黑血川などなどがあるさうです。

すでに關ヶ原合戰場のただ中に入つてゐましたが、その詳細はまた明日。さらに、常盤御前のお墓と常磐地藏など、時代を超えた史跡の數々にめまぐるしい思ひさへいたしました。

街道は、東海道本線と並行しつつ、山間を進みましたが、今須峠を越したところの一里塚で午前中の行軍は終了しました。 晝食のために訪れたのは、ウォーランドといふテーマパーク(?)でした。そこを見學したあと晝食。案の定あまり食欲はありませんでした。

さて、晝からの行進はさらに苦しさがましました。今須宿を通過し、謂れ深い車返し地蔵尊を確認。東海道本線の踏切を渡ると、寝物語の里と呼ばれる、美濃と近江の國境で、記念写真を提案して、思ひ出にのこる一枚を得ることができたのでありました。

 さらに街道を進みました。照手姫笠掛地蔵を見たあと、そこからが不思議な雰圍氣の柏原宿の町竝みに入り、柏原資料館で一休みしました。

町竝みみが途絶えるとすぐに復元された一里塚が見え、さらに北畠具行卿墓の入口を示す道標が建つてゐました。意味深の墓ですね?

ますます暑くなり、ぬるくなつた水分補給くらいでは、がまんできなくなつてきました。國道と名神高速道路に挾まれた部分では、坂道ではないのに息があがつてきてしまひました。しかし、どうにか小さな枡形にたどり着き、醒井宿に到着することができたのでした。また、その宿場は。オアシスと呼びたいくらゐ、豐かな泉が湧き出て流れてゐました。

醒井駅がゴール。二五二五〇歩(約十七キロ)。撮つた寫眞は五四九枚でした。

宿泊は、養老の瀧の近く、「ゆせんの里ホテルなでしこ」でした。異國風の建物でした。

 

今日の寫眞・・不破の關跡の碑。ウォーランドで徳川家康と方を組む。美濃國と近江國との國境にて記念寫眞。柏原驛から見た伊吹山。そして、居醒の淸水からの流れ沿ひにある「醒井宿資料館」にて。

 



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