四月廿六日(日)壬申(舊三月八日・上弦 晴

 

ワード版『歴史紀行四十六 中仙道を歩く(廿六)』(加納宿~赤坂宿)を書き進めましたが、平行して、載せる寫眞を撰びかつ加工しながらなので、思ふやうに前進しませんでした。 

夜、善光寺の七年に一度のご開帳についての番組があるのを知つて、いざ見はじめたら、出てくるタレントが馬鹿げてゐたので即座に消してしまひました。ただ、ありのままを紹介してくれればいいものを、なんでどうでもいいやうなタレントを案内人などにするんでせうか。 

ぼくは、一應題名に惹かれて番組を見ますが、その案内や説明が顔も知らないアナウンサーならよしとしますが、氣にいらないタレントだつたりしますと見ないですぐに消してしまひます。

 

そんな氣持ちで、ふと書庫に入つたら、偶然に、『天山を越えて』が目に飛び込んできたのです。胡桃澤耕史の『天山を越えて』(徳間文庫)ですよ! そして、頁を開いたら、ぐぐつと引き込まれたしまつたのでした。はじめて讀んだのは一九九〇年、再讀は一九九六年、そして約二十年後にかうして手にとつてみても、ぐいぐい引き込まれるのは何かあるんでせうね。 

「昭和五十六年の三月で、衛藤良丸は七十一歳になった。年よりは、ずっと老けて見える顔なので、近くに住んで彼を見知っている人は、皆、もっと高齢だと思っている。」 

その衛藤良丸が、「急用があって、烏魯木斉子に行く」といふメモを殘して、子どもや孫たちに黙つて失踪したのでした。「烏魯木斉子(ウルムチ)」に何が待つてゐるんでせうか?

 

今日の寫眞・・今日の寅と、山口二郎さんの《本音のコラム》です。

 


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