四月廿四日(金)庚午(舊三月六日 晴

 

今日はパヂヤマデイ。目が覺めたら一一時。午後は午後でまた晝寢。よく寢たので、「紀行」の執筆もはかどりました。昨日分の日記は、はじめは紀行として書いたので長くなり、それを凝縮して日記としました。

 

美江寺宿で見かけた案内板の寫眞の方が、自然居士姿(?)なのでせうか、いや、單なる旅姿なんだらうと思ふのですが、どう見てもぼくに似てゐるやうなのであります。そこで、そもそも自然居士とはどんな人物なのか調べてみました。ところが、その先で訪ねた千躰寺といふ寺院と關係があつたので、まとめて記します。

千躰寺は、浄土宗西山派に属し、現在、養老郡の円満寺の末寺である。千躰寺には高さ十二センチメートルから二十三センチメートルの桧材一木像の阿弥陀如来立像、千体が八段に並べまつられている。仏像は、千躰仏と呼ばれ、寺の名の由来となった。千躰仏は、禅僧、自然居士の作で、仏像の姿・形から鎌倉時代後期~南北朝時代のものと伝えられている。自然居士(じねんこじ)は、和泉の国(大阪府)に生まれ、京都の東福寺大明国師のもとで修行したが、奇行遊行僧のようである。遊行の途中、自然居士は美江寺の地にとどまり千躰仏を造立し、この地で没しました。》

 このことと、謠曲の「自然居士」とはどういふ關係にあるのか、そこまではわかりませんでした。

《謠曲の「自然居士」は、觀阿彌作の能の一曲である。世阿彌の手も入っていると考えられる。佛教の説教者の自然居士が芸尽しによって幼い者を人買いから救う。観阿弥らしい劇的構成が光る能である。》

 

今日の寫眞・・千寺とその中にあると思はれる千體佛の寫眞。

 


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