四月十八日(土)甲子(舊二月卅日 晴

 

今朝、昨夜妻が、淺草で流鏑馬と何だか草鹿(くさじし)とかいふのがあるんだつて、と言つてゐたのを思ひ出し、ネットで調べたら面白さうなんです。それで出かけようと思ひました。家を抜け出す、いい口實を與へてくれたんですから、これを無駄にしてしまふことはありません。

ところが、堀切驛から電車に乘り、靑砥驛で羽田空港行に乘りかへたはいいんですが、淺草に近づくにしたがひ、なんだか混雑してゐるやうで、人ごみに流されるのがいとはしく思はれて、そのまま乘り過ごしてしまひました。

そして、ふと、さうだ、五反田の西部古書會館で開催中の古書展に行く氣になりました。前回はたぶん一月の下旬でしたから、二ヶ月半ぶりです。きのうの今日ですから、ちよいと氣がとがめましたが・・。

この會館は二度目ですが、玉石混交とでもいふんでせうか。この一角はすべて二百圓といふ中に、何でもありなんです。例へば、岩波の、中江兆民全集が二百圓。ぼくは、揃ひの十一卷から十五卷まで、「新聞雑誌論説」篇をまとめて買ふことにしました。送料のはうが高いかも知れないと思ひつつ、これも、搦め手から明治時代を眺めるためです。この第十四卷には、板垣退助が洋行することに關しての意見を述べた文章がのつてゐました。が、そこでゆつくり讀めるわけもないので、あとで讀むことにしました。

それと、ヴァリニャーノの『日本巡察記』です。フロイスとならんで、日本に好意的だつた宣教師がどんなことを書いてゐるのか、興味津々です。平凡社の東洋文庫だと、とても高價で手に入れてゐなかつたんですが、安かつたのでなにも考へずに買ひました。

五反田は、明學時代、目黑とともによく歩いたところですが、もうよく覺えてゐません。初めての店で、タンメン・餃子を食べてから、さて、と考へて、ついでだから目黑に行きました。さうです、久米美術館があるのを思ひ出したのです。でも、どこにあるのかわからずに、美容院から出てきたお店の人に聞いたら、ずつと通り過ぎてきてしまつてゐました。なんのことはない、驛の目の前のビルだつたんです。

入口には、たしかに久米美術館とあり、ドアから入ると、そこに、なんと久米邦武さんが出迎へてくれたのです。まあ、それは胸像でしたが、中仙道の旅ではだいぶお世話になりましたので、決して見知らぬ人ではないのですが、ちよいと驚きました。 

エレベーターで八階に上がりましたが、誰もゐません。受付にいくと、薄暗いなかに人の氣配がしたので、例の手帳を出さうとしたところ、ここは治外法權のやうで通用しませんでした。それで、五百圓を支拂ひ、ガラス扉から會場に入つたところ、そこは狹いうへに、なんだか繪畫ばかりです。

ぼくは、もう一度受付に行つて、久米邦武さんの資料などの展示はどこでせうかと聞きましたよ。さうしたら、なんと、この期間、久米邦武さんの息子の佳一郎さんは畫家で、その敎へ子たちの繪の展示會が行はれてゐるところだつたんです。

それで、仕方なく、圖録だけ買つて出ようとしたら、その受付嬢、といつてももういいお年の方でしたが、ぼくに差し出すんです。「招待券」です。常設展になつたら來てくださいと、無料招待券をくださつたのです。いやあ、ぼくは感激! また來ますといつて氣持ちよく歸路につきました。めでたし。

 

今日の寫眞・・久米美術館にて。最後の一枚は、圖録と、いただいた「招待券」です。

 

 



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