四月十二日(日)戊午(舊二月廿四日・下弦 晴のちくもり

 

午前中、昨日の寫眞を選別加工し、早速送つてくださつた川野さんはじめ、森さんと甲斐さんと大塚さんに文面を添へてお送りしました。

 

以下、昨日の流山散策のつづきです。

 

その近藤勇陣屋跡で、みなさんと記念寫眞を撮りました。全員入れたのは、通りかかつた男性に撮つていただいたからでした。ありがたうございました。

そして、閻魔堂です。實は、ここで、若い女性の新選組にちなんだ演舞が催されるといふので大期待して居たんですが、午前中の雨で、これはだめでせうと、ガイドの青柳さんもおつしやつてをられたので、もうあきらめてゐたんです。ところが、行つてみると、中から、お二人、たしかに若い女性が、袴姿で現れたのであります。

これはと、期待が高まりましたが、水溜まりができてゐて、やはり無理かなと案じてゐたんですが、さすが、ぼくたちの期待のまなざしのかがやきに應へてくれたのでせう、いきなり竹箒をもつて、その水溜まりの水を掃き出し始めたのであります。そして、次には、刀を出してきて説明をはじめ、短い時間でしたけれども、演舞してくれましたよ!

普段は、といふのは、週の土日だけですけれど、十名ほどの方が演舞されるんださうです。いただいた情報にも、

近藤勇陣屋跡の隣にある閻魔堂で、『北総新撰組』(若い女性グループ)による演舞が、毎週土・日の一一時~三時頃、雨天でない限り行なわれています。見学希望者が一人でもOK、演じていただけます」

とのことでしたので、それはそれは見ものでせうね。その説明板には、また、「閻魔堂=無料休憩場所・図書資料等販売・武士体験・甲冑体験及び講座」ともありました。他の人にも薦めたいと思ひました。

それで、また、みなさんと記念の寫眞をとりました。その時あらためてその場所がお墓なのに氣づきました。いやあ、演舞にはいい場所ですよ。おそらく、丸谷才一さんではないですけれど、鎭魂のカーニヴァルに違ひありません。いいものを見せていただきました。

 

つづいて、「千葉師範学校発祥之地」碑のある常與寺と、その先の淺間神社と富士塚でも青柳さんの説明がありました。それと、先ほどの女子演舞隊員が勸めてゐたイタリア料理のお店、遊食伊太利庵・丁字屋さん、それが古民家なのでびつくりしました。

さらに、かつての街道には、新川屋といふ呉服店や、笹屋商店といつた古民家のお店が見られました。

青柳さんとはそこでお別れし、いちづ、流山市立博物館に急ぎました。といふのも、夕食時間が決まつてゐて、それをさかのぼつた豫定で歩いてゐるからだとリーダーの大塚さんに言はれました。それにしては、ちよいと長い説明で空費してしまつた感じです。はい。

 

いやいやその博物館がただものではありませんでした。竝みのの博物館ではない充實した内容でした。しかも無料です。現在は、「第12回流山新撰組まつり 『書籍で見る新撰組』が開催されてゐて、これも見應へがありましたが、また、常設展も充實してゐました。

ちなみに、そこの一角に、先ほど見た、近藤勇の「辞世句」が、名のある(?)書道家の「書」とともに、訓讀文が掲示されてゐたので寫しておこうと思ひます。

 

孤軍 援け絶えて俘囚となり 君恩を顧念して 涙 更流る

一片の丹衷 よく節に殉じ 陽は千古 これわが儔(ともがら)

他に靡きて今日また何をか言はむ 義を取りて生を捨つるは わが尊ぶところ

快く受く 電光三尺の劍 ただ まさに一死をもつて君恩に報いむ

 

また博物館には、小林一茶の足跡も展示され、これから訪ねる記念館のための豫習にもなりました。(未完)

 

今日の寫眞・・閻魔堂にて、演舞終了後の女子隊員とご一緒に。博物館にて、近藤勇の「辞世句」の書と、土方歳三の畫像。

 


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