四月七日(火)癸丑(舊二月十九日 終日小雨

 

今日も、ワード版『中仙道を歩く(廿五)』を書きつづけました。一日目については、文章をだいぶ加へ、寫眞もはめ込み、一應仕上げることができました。

ところが、二日目の寫眞を選んで加工してゐるときに、パソコンがまたフリーズを起してしまつたのです。このところ日に何回も起こります。數分で立ち直るときもあれば、まるまる一晩止まつたままのときもありました。その都度、強制的にシャットダウンをしてゐましたが、それでは怖いので、仕方なく、先月診てもらつたばかりですが、OCNに連絡して、「リモート點檢」をしてもらひました。それに二時間かかりました。でも、報告によると、だいぶ修繕と改善ができたやうなので、夜になつてやつと作業を再開することができました。

 

今日の讀書・・丸谷才一さんの『ゴシップ的日本語論』(文春文庫)がこの二日に讀み終り、つづいて今日、『恋と女の日本文学』(講談社文庫)を讀み終へました。このはうは、「恋と日本文学と本居宣長」と女の救はれ」の二篇からなつてゐて、まづ中國文學との違ひが述べられてゐます。

「日本人は道徳を言ひたてないたちで、『もののあはれ』を重んじ、小説に恋愛感情を率直に書く」。だから、『源氏物語』や戀の歌がベストセラーになるわけです。それに對して、「中國人は道徳論が好きで、好色を咎める」。それで、中國文學には戀愛小説はないさうです! 

漢学が主流であつた江戸時代、ですから、日本文化の良さはいはば抑壓されてゐたやうなんですね。それを再發見、いや再評價し、『源氏物語』や和歌に惚れ込んだ宣長さん、そのためには、中國文化からの獨立といふか、その影響から抜け出さなくてはならず、とてもがんばつたのであります。

宣長さんがどれほど骨を折つたか、それを、丸谷さんは、次のやうに書いてゐます。

上田秋成との論爭によつて書かれた、「国粋主義的な外交論、あるいは侵略主義の擁護の本」である、『馭戎概言(ぎよじゆうがいげん)』について、「あれは大嫌ひな本で、題を見ただけでムカムカしますが、しかし敢へて情状酌量を試みるならば、何しろ宣長は漢文学が支配してゐる江戸後期の日本で、西洋文学の存在すらも知らずに、『源氏物語』と『新古今』を擁護しなければならなかつた。『源氏』と『新古今』を否定されたらまつたく立つ瀬がないやうな人だつたから必死である。そしてその擁護に見事に成功した。それで、その功のすばらしさに免じて、罪は見のがしてやりたいとわたしは思ふのです。何とか、勘弁していただけないでせうか。駄目でせうか」。

ふーむ。困りましたね。問題が違ふ、とぼくは思つてしまふのですが、丸谷さんの言ひたいことはようくわかりました。

また、『ゴシップ的日本語論』のはうは、「わたしなりの憂国の論であります」とおつしやるくらゐ、力のこもつた日本語論です。「日本語があぶない」と「ゴシップ的日本語論」の二篇ですが、ぼくは、たくさん敎へられるとともに力が與へられました。丸谷さんの込められた力が傳はつてくるやうでした。また、「男と女が合作する小説」もよかつたです。

 

今日の寫眞・・ネットで求めた、丸谷才一さんの對談集、二册。

 


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