四月二日(木)戊申(舊二月十四日 晴

今日から、葛飾區地域活動支援センター主催の書道教室がはじまり、その第一回目に參加してきました。場所は、パソコン教室でもお世話になつた、ウエルピアかつしかです。午後一時から三時まで。開始時間ちよつと前に行きましたら、すでに他の參加者は來られてゐて、すぐセンターの係の方々の自己紹介がありました。つづいて女性講師の江刺先生から、初めての方を對象にしたお話がはじまりました。

參加者は、それぞれ障害者の方々ですが、車椅子の方以外は、ぼくもさうですが、どこが障害かはわかりません。すでに繼續して學ばれてゐる方が十二名、新參者がぼくを含めて四名の、計十六名で行はれました。

いやあ、先生の話はぼくにとつては新鮮でした。また、それ以上に、書道への安心感を與へてくださいました。なにしろ道具の使ひ方からしてわからないので、いただいた例の道具一式には手もつけられませんでしたからね。

 

復習として、その肝心なお話を書き留めておきます。

一 新しい筆を使ひはじめるには、まづ、筆先を、竹の根元まで、先端からはじめて、よくもみほぐすこと。すると、のりや餘分な毛が落ちてきます。

もみほぐした後、穂先から竹の根元まで指を突き刺してみると、ちくちくと指先にあたる毛が感じられる。その毛を命毛(いのちげ)といつて、使用後、これが感じられなくなつたら、その筆の壽命がつきたと考へていい。すると、書いていて、穂先が二つに割れて、いはゆるカニの爪になつてしまふといふことです。

一 筆の毛の色には、茶色と白色と混じりがある。茶色はかたくて楷書向き、白色はやはらかくて行書向き、混じりは、外側は茶で中が白、楷書と行書の兩方に使はれる。太さは、通常「三號筆」を用ゐる。

一 使用後は筆を洗ふ。水道の水で(お湯ではいけない)、その流水につけてよくよくもみほぐしながら、墨を洗い流すこと。竹の根元は特に念入りに、流しの底に筆を押しつけるやうにして奥に染みた墨を洗い流すことが肝心。筆の命はこの洗筆にあり。どんな高價で良い筆も、よく洗はなければすぐにわるくなつてしまふ。

さらに、洗つたあとは、次に使ふまで、部屋の中に吊して干しておくのがいい。中にたまつた墨が、さうすることによつて筆先に流れだすからです。そして、數日後、乾いた穂先を垂直に手のひらに落とし、押していつて、丸くふつくらとふくらんだら良し(たしかに、今日おろしたての筆は、もみほぐしたあと、ふつくらと丸くふくらみました)。

ちなみに、洗筆が十分でないと、根元がかたくなつてしまひ、筆の毛全體を充分に使ひこなすことができません。

 

以上でした。これは、三號以上の太い筆用の処理の仕方で、細筆は先端だけほぐして使へばいいやうですが、實に、ぼくは、このやうなことが知りたかつたんです。ですから、極端なはなし、これだけ聞けたらもういいといつても過言ではありませんのです、本當は。でもね、一年間學ぶことにしてしまひましたから、やりますよ、もちろん。

それに、今日は、はじめてだといふので、「丸」と「へのへのもへじ」を書きました。これがむづかしい。何がむづかしいかといへば、思ふやうに書けないのです。筆を動かしてみなければどんな字が書けたのかわからないなんて、とても不安でした。だつて、鉛筆や萬年筆やボールペンでは、自分の書きたいやうに書けるのに、それができないんです。腕の動きに信賴するしかない動作ですね。やはり、からだに覺えさせていくしかないやうです。

それで、先生、バランス感覺を養ふためにと言つて、「丸」と「へのへのもへじ」をお手本にしたんです。大きさをそろへること、それと向きをそろへることを強調されました。「丸」を、大きく、同じ太さで書き切るのは至難のわざでした。また、「へのへのもへじ」の「への」を二つ同じに、點々をそろへて、バランス良く筆をおくのが不安でしたね。

恥づかしながら、ぼくは、顔の繪だと思つてしまつたんでせうね、「し」から書きはじめてしまつて、みなさまに笑はれてしまひました。

 

今日の寫眞・・お手本の「丸」と「へのへのもへじ」と、はなまるをいただいたぼくの作品です! 



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