三月廿五日(水)庚子(舊二月六日 晴

今日明日は、中仙道を歩く第二十五回目、鵜沼宿から加納宿まで歩く豫定です。
前回からは東海道新幹線で名古屋まで行き、そこからバスに乗換へてスタート地に向かつています。

参加者は二十七名。リーダーはおなじみ山寺さんです。前回ゴール近くで晝食をいただいてしまつてからの出發となりました。

赤坂地藏堂、一一時一五分にスタート。中仙道を歩きはじめました。少し冷たい風が強くあり、寒いかなと思ひましたが、はじめからセーターは脱いでしまひました。日は輝いてゐますし、歩き出したら案の定暖かく、いや暑くなつてきました。

赤坂神社鳥居脇の高札場跡と、いくつかの道標を確認しつつ、と思つていると、古風な木の橋を渡ると、そこから鵜沼宿のメインストリートでした。

散開して各自自由に、鵜沼宿町屋館、それから本陣跡と脇本陣跡などを見學し、集合場所に集まつて、さらに旅はつづくのでありました。

岐阜縣下最大の古墳であるといふ衣裳塚古墳では、ぼくは下で待つてゐましたが、みなさんは上つて樂しんでゐました。また、村芝居が上演される「皆楽座」は、島津神社の境内にあるといつていいと思ふのですが、じつに立派な建物でした。さらにと言ひたいところですが、そのあたりからは車の行き交ふ國道21號線をまつすぐ歩きつづけるだけでした。

暑さがましてきましたが、みなさんそこは大人です。黙々と、ただ、リーダーが立ち上げる旗のあとに從つて歩きました。右手には高山本線が、左手には名鐵各務原線が通るつてゐるんですが、シャッターチャンスにうまくおさまるやうにはやつて來てくれません。

また、自衛隊の飛行場が左手にあると思はれるんですけれど、塀があるのか建物が邪魔してなのか確認できないまま、進み行きました。何度か線路を越えました。右手に、禿げ山と化した各務原山がだらしなく見下ろしてゐました。

すると、いきなり左後方の塀の中からジェット機が飛び立つたのです。一機、二機、三機、そして四機目、ぼくはカメラを向けて待ちかまへ、どんぴしやでシャッターを切り、その不氣味な騒音物體をカメラにとらへることができました。

いや、その騒音のもの凄さは、さう爆音ですね! これを毎日聞かせられてゐる人々はどういふ精神状態でゐられるものなのか、ぼくは氣になつて仕方がありませんでした。それはただ人々の心を壓迫するだけではなく、つづけて聞かされてゐると、ある意味では、何か鼓舞するといふか、人を驅り立てる力にもなりえるなと、思はづぶるつと感じてしまつたのであります。

それは、日ごろ鬱積してゐる、何か得體の知れない敵愾心を心の内に醸し出し、撃ちてし止まんとの氣持ち驅り立てる、まさに非日常へと追いやり導く、實に恐ろしい音であると、ぼくは喝破したのであります!

各務原公園で最後のトイレ休憩をし。腰を上げてて歩きはじめると、廣い公園の中に、櫻とおぼしき滿開の花を咲かせた木が一本だけ立つてゐて、みなさんはそそくさと進んで行かれましたが、ぼくは、しばらく佇んで見とれてしまひました。爆音の下には滿開の櫻が似合ふとはたうてい思へませんでしたね!

さうかうするうちに、ゴールの造り酒屋に到着しましたが、商品はあまり置いてゐないやうで、試飲を期待してゐた御仁には殘念なことでした。いやぼくはすぐにバスに乗り込みました。といふのも、國道を歩いてゐて縁石に躓いて倒れ、右手首にニ箇所すり傷をこしらへ、左手親指を強打したらしくて内出血を起こしたやうなのであります! すぐ手當てにかかつたと、かういふわけなのであります。不覺でした。

朝から歩いて來た道をバスでもどり、ものの三十分もかからずにホテルに到着。犬山城を木曾川をはさんで斜め向ふに見ることのできるホテルでした。

すぐ温泉に入つて汗を流し、あまり長湯せずに出て、再度傷の手當てをしました。幸ひ、夕食は美味しくいただくことができました。さう、部屋は、川野さんと楓(かえで)さんといはれる、ちやうど馬橋のおぢさん似のもの柔らかな方でした。

 

今日の寫眞・・朝と夕方と夜ライトアップされた犬山城。朝、バスからの寫眞の、右手前の建物が宿泊したホテル「八勝閣みづのを」です。それと、鵜沼宿芭蕉句碑前にて。




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