月十八日(水)癸巳(舊正月廿八日 晴のち曇り

『中仙道を歩く(廿四)』、册子版の編集が進みました。集中したので、半分の第一日目まで仕上がりました。と、そこに、ワード版を讀んだ方から、「気になる点」として、板垣退助の岐阜事件に関する部分のご指摘があつたのです。いやあ、告げられてみてはじめてぼくの思ひ込みがわかりました。板垣さん、その時岐阜で死んではゐないのです。詳しくは、ワード版の方々には次號で訂正文を書くつもりですし、册子版の方には、訂正したのを近々お送りします。

 でも、ぼくは、板垣退助が岐阜で、「吾死するとも自由は死せじ」と叫んだときに死んだとばかり思ひ込んでゐました。とんだ恥をさらしてしまひましたが、これも、ぼくの歴史なんです。とほほですけれど、受け入れたところから新たに出直すしかありません。

 

今日の寫眞・・昨日、「草思堂」で求めた、お聖さんの『姥ざかり花の旅笠』です。「小田宅子の『東路日記』」といふ副題が示すやうに、天保の頃の旅日記に基づいたお話です。

それと、おいしいところだけを食べてゐる寅。それをじつと見てゐたらにらまれてしまひました。



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