三月九日(月)甲申(舊正月十九日) 曇天、午後には雨
寒くて雨降りでしたが、弓道場へ行きました。先日撮つた寫眞と、『中仙道を歩く二十三』をお仲間に差し上げるためでもありました。すると、お一人若人が來てをられるではありませんか。自己紹介し、お聞きしたら、なんと靑學の一年生で、弓道部の學生さんでありました。いやあ、まだ弓道を始めて一年足らずだといふのに、いいかたちをしてゐるので、さぞや鍛へられてゐるんだらうなと思ひました。たまにはいい刺激です。
ところで、はじめに使つた十五キロの竹弓がいやに強く感じられました。それに比べて、より弱いカーボンの弓だと充分に弦を引ききれるので、射てゐても氣持ちいいのです。弱い竹弓が欲しくなつてしまひますが、ここは我慢して續けたいと思ひます。
今日の讀書・・森谷明子著『千年の黙(しじま) 異本源氏物語』(創元推理文庫)を讀み終へました。實に面白かつたです。なんといつても、これが著者のデビュー作といふのですから驚きです。解説によると、この續編が二册出てゐるやうなので、探してみたくなりました。
要するに、「かかやく日の宮」の卷がどうして抜け落ちてしまつたかの謎解きでありました。結論は、紫式部が中宮彰子に差し上げた第一原稿を、當時の最高權力者であり、彰子の父であつたので最初に讀める立場にゐた藤原道長が、「たとえ絵空事にしろ、藤氏の姫が最高の位につけないような、二流の地位に甘んじていなければならないようなことを。そんな物語が世間に広まるのを」懸念して、彰子が讀む前に、そして寫本がなされる前に處分してしまつた、といふものでした。
それが判明したとき、ぼくはここが特に感心したんですが、「かかやく日の宮」の卷がないために、つじつまのあはないことに困惑してゐる中宮らの前で、紫式部が、「若紫」の中の文章に、ある言葉を挿入したんです。すると、どうにか、「桐壺」につづけて讀んでも筋が通るやうになつた(と思はれる)んですね。ぼくは實際にその本文を開いて見ましたら、挿入された文が記されてありました!
といつても、それはもともとあつた本文を、そのやうに解釋した著者の手腕でせうが、そこまで考へて物語れる著者森谷明子さんてすごいと思ひました。
ところで、『源氏物語』の「桐壺」と「若紫」との間に「かかやく日の宮」の卷があつたといふ説は、やはり學説として唱へられてゐるやうです。それは、丸谷才一さんと大野晋さんの對談集『光る源氏の物語(上下)』(中央文庫)の中でたしかにおつしやつてゐます。
その發端は、藤原定家が、『源氏物語奥入』といふ書のなかで、「一説には卷第二、かかやく日の宮、このまきもとよりなし」と書いてゐて、それは元々はあつたからさう言つてゐるわけであるとの論のやうです。
それで、對談によると、『輝く日の宮』の中でも語られてゐましたけれど、『源氏物語』は内容的にいくつかに分類できるんださうです。a系とb系とc系とd系です。
a系は①⑤⑦~⑭⑰~㉑㉜㉝。b系は②③④⑥⑮⑯㉒~㉛。c系は㉞~㊹。d系は㊺~54。
つまり、問題は、a系ですが、a系だけを讀んでも筋は通るやうです。ただ、①桐壺と⑤若紫の間に「かかやく日の宮」の卷があつたならば、もつとすつきりとした筋になるだらうといふことなんですね。ちよいとぼくには難しいことになつてきましたので、興味ある方は調べてみてください。
ぼくの從兄弟のブログより・・
「 ふと思い出した、世界を変えた三つのリンゴという言葉。
1.アダムとイブのリンゴ 2.ニュートンのリンゴ 3.スティーブジョブズのリンゴ
* いつあってもおかしくないと云ふ地震われの杞憂か東京ゴリン 」
今日の寫眞・・丸谷才一・大野晋對談集『光る源氏の物語(上下)』(中央文庫)。
それと、「源氏物語を紀行する」のために、だいぶ前に手に入れた二册。でも、『源氏物語』は架空の物語ですからね、どこまで紀行としてなりたつのか、ちよいと考へなくてはなりません。ただ、『源氏物語の京都案内』(文春文庫)は讀むだけでも面白い本です。内容を紹介しますと・・。
「五十四帖すべてにつき、各四頁の構成です。最初の頁は簡略なあらすじ。次の頁には関連の系図と、〈ちょっと読みどころ〉が入ります。
続いて、三頁と四頁はカラーです。三頁目にはその卷に関連する、あるいは連想できる、京都の観光スポットと京菓子の紹介、四頁目には、紹介した名所や、またはその卷に合うような美術品などの写真を掲載しています」。
特に、この四頁目の寫眞がみな美しいのです。ぼくもこんな寫眞を撮れたらいいなと思つて、これだけをながめて樂しんだりもしてゐます。