二〇一五年三月(彌生)一日(日)丙子(舊正月十一日 雨、寒い

今日は寒いし外は雨。かういふ日は暖かくして本を讀んでゐるのが一番です。いつものやうに、蒲團の中で讀んで過ごしました。

 

今日の讀書・・はじめ、丸谷才一さんの『輝く日の宮』を讀みつづけやうとしたんですが、昨日買つてきた、『梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集』(晶文社・一九六六年十月初版)が氣になつて、つい手にとつてしまひました。これは、他の文庫本と同じやうにネットで買はうとしたんです。ところが、アマゾンで調べたら、まだ文庫本にはなつてゐないやうで、しかも八一六圓でした。もつと安くていいのだがと思つて、日本の古本屋を開いてみました。すると、六件ヒットしたんですが、その値段を見て驚きました。最高値が一二九六〇圓、最低値でも三二四〇圓だつたのです。これは驚き桃の木で、しばらく放念することにしました。

 

それが、昨日の古本市で見つかつたんです。三〇〇圓でした。ただ、これを掘り出し物と言つていいのかどうか、讀んでみないことにはわかりません。でも、なぜこだはつたかといふと、『思考のレッスン』の中で、「津田左右吉に逆らって」といふところを讀んだからなんです。

「『文学に現はれたる我が国民思想の研究』を読んでみて驚いた。津田左右吉という人は、あまりにも文学がわからない人だと、茫然とした。たとえばあの人は、日本の和歌の伝統ということをまったく理解しないんですね。すべて『因習である』と決めつけてしまう。・・驚き呆れて、それを読んでるうちに、これはやっぱり否定論を書かないといけないなあと思ったし、・・そこで、『津田左右吉に逆らって』という評論を書いた」、とあつたからなんです。それが、『梨のつぶて』に収録されてゐたわけなんです。

ところが、餘談ですが、この原稿の掲載は、はじめ、「中央公論」にことはられ、「展望」でもことはられ、次に「文学」に持ち込んだところが、「津田左右吉に対する批判の部分は全部削って」なら載せると言はれたので、雑誌への掲載はやめにしたといふ曰く付きの評論なんです。結局、『梨のつぶて』に収録され、そのまま文庫本にもされずに至つたものなんですねえ。どうです。讀まざあ、でせう! (たしかに、評論の末尾に、「一九六五年一月執筆(未発表)」と書かれてゐます)

まあ、津田左右吉がどれほどの権威者だつたかは知りませんけれど、ぼくは手足を使ふ喧嘩は苦手ですけれど、かういふ権威者相手の論爭といふか批判は大好きです。

 

それで、『梨のつぶて』の目次を開きました。すると、冒頭が、「未來の日本語のために」であり、次いで、「津田左右吉に逆らって」でした。最初に後者を、つづいて前者を讀みました。いやあ、胸が高鳴り通しでした。ぼくは、こんなに激しい口調の丸谷さんはじめてですよ! 怒り、いや義憤といふのか、まるで喧嘩腰です。

どちらにも共通してゐるのが、我が國の傳統や文化、古典や言語にたいする輕視や無知が、今日の悲慘な結果をもたらしてゐる。明治期、傳統に裏打ちされた西洋文明を受け入れるならまだしも、薄皮をなめ、その味をたのみとして、我が國の豐かで芳醇な文化と歴史を「因習」として嫌惡し、排除してしまつたのである。とのお言葉に、ぼくは奮へてしまつたのでありました。

 

この共通した視點を土臺にして、「未來の日本語のために」が、のちの『文章読本』や、『日本語のために』や『桜もさよならも日本語』に成熟していつたのだなあと思ひました。

また、「未來の日本語のために」の冒頭には、口語譯聖書への批判が、これまた手嚴しく述べられてゐて、我が國のキリスト教徒一同うろたへること必然ですね! 

「世界の文明のなかで、新教徒が、これほど馬鹿ばかしい文体で書かれた聖書を読ませられている国が、そういくつもあるとはぼくには思えない。・・なぜならここには、文章の凝縮度を高めようという努力の影さえも見られないからである」。

たしかにさうなんですけれど、補足させていただければ、口語譯は庶民にもわかりやすい聖書をといふことで實現した譯業ではあつたんです(一九五四年)。それと、この口語譯への批判ははじめからあつて、その後、カトリックとプロテスタントが協力して、『新共同訳聖書』が出され(一九八七年)、今日ではこれが教會では用ゐられてゐます。

ぼくも、口語譯で育つたもので、辛いんですけれど、なんと言つても文語譯聖書は文學的にも、信仰を喚起する力においてもすぐれてゐると言はざるを得ません。

 

ちなみに、文語譯聖書は、あの宣教師のヘボンを中心とする「飜譯委員會社中」によつて、明治二十年(一八八七年)に刊行されました。が、それをさらに日本語として洗煉させたのが、大正六年(一九一七年)に改譯された、今日いはれる「文語譯聖書」です。あッ、これはそれぞれぼくの祖父と父が生まれた年ですよ! いへ、無關係なことでした。

文語譯聖書については、塚本邦雄さんが、『國語精粹記』(講談社・一九七七年一一月)の中で褒めちぎつてゐますので、紹介いたします。。

「私達が今日享受する邦譯韻文聖書のあの飜譯技術を神技以上の奇跡と思ふ。・・この日本語韻文の美しさは、比類がない。・・それは一に、當時の『聖書協會』の譯者群(?)が、映像喚起力に富んだ漢語と、魂を慰撫するに效ある大和言葉を、至妙に按配して、一行を一章を、練り上げて行つたからだらう。通じさへすればよい、判り易いのが最優先事項とでも考へたとしか思へない現代語譯とは、原典に向ふ態度が根本的に異ならう。・・まさに新しい和漢洋の綜合文體であつた。・・時としては、日本人のためには、原典を越えてさへゐたかも知れぬ」。

もう言ふことありません。お休みなさい。

 

今日の寫眞・・『梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集』(晶文社)。


コメント: 0