正月廿五日(日)辛丑(舊十二月六日 晴

 

今日は、先走つて、『歴史紀行四十一 中仙道を歩く(廿三)』(大井宿~御嵩宿)の序文を書いてしまひました。前回書けなかつたことがあるので、補足でもあるんですが、この數日調べてきた、尹良親王とそのお墓をめぐつてだいぶ長くなつてしまひました。一應言ひ盡くせたかなと思ひます。そのおかげで、二十七日からの新たな中仙道の旅の豫習ができませんでした。明日は、そのトラベル日本の謝恩會があるし、さらに歸りには運轉免許の更新に行くつもりでゐるので、わづかな時間でも無駄にできません。

 

ぼくの讀書(十四)・・靑柳瑞穂著『ささやかな日本發掘』(新潮社・一九七三年七月卅日讀了。後再讀)。この本は、忘れもしない、結婚して西宮に移り、妻となれない生活をしはじめた頃、京都の祇園祭に行つたその歸りに求めたのでした。一九七三年七月十七日と記されてゐます。といふことは、二週間で讀んだといふことになります。そして、もしかしたら、ぼくの古本發掘は、この本に影響を受けたのかも知れません。

「掘出しといふことは誰れにとつてもうれしいものに相違ない。散歩の途次、ふと立ちよつた知らない古本屋で、かねがね自分のさがしてゐた絶版の詩集をみつけたり、・・事はそれほど大でないにしても、歡びはいつも大きい。それは安い金で、より高價なものをせしめたといふ金錢的な歡びよりは、自分の幸運と自分の目をうれしく思ふところの、むしろ、精神的な歡びであるやうだ」〈掘出しといふこと〉。

これは主に、「物」についての發掘物語ですが、ぼくの歴史紀行も「ささやかな日本發掘」といへるかも知れません。

また、この本は、内容は新しい随想なのに、正字正假名なんです。それも氣に入つてゐます。

 

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