正月廿日(火)丙申(舊十二月朔日・大寒 晴

 

今朝、ピクチュアの別のファイルをマイポケットへのアップロードしようとしたら、どうしてもファイルがそのままではアップロードせず、その中のファイルが、さらに下位のファイルが開いてしまふのです。それで、どうにもならなくなつたので、またOCNに電話して聞きました。そしたら、係の方もはじめはわからなくて、やつとファイルごとアップロードするやり方がわかりました。新たなることに取り組むには、時間とともに勞力も神經も使ふものです。

 

いやはや、たうとう恐れてゐたことが現實になりました。敵をつくらないやうに、平和的な外交こそ政治家のつとめであることを前にも書いたことがありましたが、どなたかが言つてゐましたやうに、まつたく、アベコベの安倍ですね。

一國の首相ともあるものが、「イスラム国から八五〇〇キロ離れた場所から、進んで(イスラム教徒を攻撃する)十字軍に参加を約束した」、と受け取られるバカなまねをしでかしてしまつたのです。

「私たちの女性や子どもを殺し、イスラム教徒の家を破壊するために、誇らしげに1億ドルを供与した。日本の国民よ。日本政府はイスラム国に対する戦いに2億ドルを払うという愚かな選択をした」。賣られた喧嘩でもあるまいに、これはイスラム國を敵に回してしまつたといふことでせう。取りかへしがつかない愚かな行爲としか言ひやうがありません。

「避難民が必要としている人道支援だ」といふならば、もつと賢い、實質的な援助なんていくらでもできたはづですし、實際に實行してゐる團體があるでせう。いつか、その足をひつぱるやうなことしてましたよね? それなのに、こんどのざまはなんでせうか。よほど、金のあるところを見せびらかして、偉さうに振る舞ひたかつたんでせう。子どもより始末におへません。

これが、日本の代表かと思ふと情けなくなります。また、このやうなバカな政党と政治家を選んでのほほんとしてゐる愚かな國民をぼくは恥づかしくて、できれば、何も言ひたくありません。でも、ぼくは、悟つてはいけないと思ふのです。悟ることが、この世に背を向けることならば、悟つてはならんのです。言ひたいことを言ひ續けることが、生きてゐるせめてもの證しなんだらうとぼくは思ふのです。ドイツの愛ちやん、どう思ひます?

 

ぼくの讀書(十二)・・エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』(創元新社・一九六九年十月廿三日讀了。後、再讀、再々讀)。明學四年生のときでしたが、フロムの作品は、『愛するということ』、『疑惑と行動』、『革命的人間』、『精神分析と宗教』、それに後には、『生きるということ』などを一氣に讀んだ時期がありました。どのやうに生きるにも、自分は今どこに立つて何をしてゐるのかを、常に忘れてはならない生き方をするやう示されたと思つてゐます。

 

今日の補足・・昨日、淸水の靑木君から、乃里子さんの描いたカレンダーがいくつも屆きました。中でも、「良寬のうた暦」が氣に入りました。さつそくパソコンの横に貼りましたが、何かいい額を見つけて入れたいと思つてゐます。さうしたら、美知子が、今日、淸水嶋のお母さんのお見舞ひをかねて、乃里子さんに會つてきたといふのです。もう一セット「良寬のうた暦」をいただいてきたので、それはうれしかつたです。良寬さんのことば、いいですね!

 


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