正月十六日(金)壬辰(舊十一月廿六日 晴のち曇り

 

今日は、近頃運動不足なので、一人で出歩いてきました。まあ、行くところは決まつていますけどね。ぶらぶらです。氣持ちもぶらぶらで、歩數をはかるのを忘れたしまひました。

ところで、せつかくマイポケットに入つたのに、アップロードが途中で止まつてしまふのです。それで、OCNに電話してサポートをお願ひしましたら、なんと、ぼくのピクチュアのファイルには禁則文字が使はれてゐるから、それが原因でアップロードしないのだといふのです。そんなこと聞いてませんよ。

だつて、ファイル名を書くとき、禁則文字だからここでは使へません、といふのには何度か出會つて、訂正しつつ書いてきました。だから、禁則文字といつても、パソコンとOCNとでは違ふのですね。しかたないから、歸宅後は、ピクチュアとマイドキュメントのファイル名をすべて確認して、怪しい文字と數字、とくにローマ數字はすべて變へました。

おかげで、整理し直すことができたので、改めてアップロードしに挑戰したいと思ひます。

 

ぼくの讀書(九)・・秋岡芳夫著『工房生活のすすめ』(みずうみ書房・一九八八年三月廿一日讀了)。この本は、實は二册目なんです。伊豆を去るときに、六割がた本を處分せざるを得なくて、そのときに手放してしまつたらしいのです。ふと氣づいたらなかつたもので、改めて買ひなほしたのです。

昨日の、倫理について、ぼくがよくわかるのは、物を作ることで、物と自分がせめぎあふところがあるからなんです。物をつくるなんていひますが、かへつてこちらが人間として作られるといふか、正されていくところが、實はとてつもなく大切なことではないかと思ふのです。

それで、一九八八年といへば、横濱にゐた時代ですが、そのときこの本に出會つて、ぼくの生きる道が決まりました。部屋をそつと工房に作りかへて、まづ、刃物を安來まで言つて調べたり、砥石は実際に南牧村と京都の髙尾梅ヶ畑に採取に出かけたり、そして、毎日砥石で刃物を研ぐことに集中したり(注)、また、ジグソウで木片を切り抜いたり、妻が發掘調査のバイトでもらつてきてくれた、さまざまな種類の樹木を材にするのに苦勞したり、その木つ端を裏庭でたき火して、子どもたちとお芋を焼いて食べたり、その子どものぢいさんに煙がけむいといつて怒られたり、まがりなりにも作品に仕上げたキーホルダーやブローチをバザーに出して好評を得たり、そして、たうとう南伊豆の山暮しをはじめてしまつたりしたのは、すべてこの秋岡さんのこの本の責任なんです。はい。この際はつきりと告白いたします。

*(注)・『歴史紀行十四 中仙道を歩く(四)』の氷川鍬神社のところ參照。

 

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