正月九日(金)乙酉(舊十一月十九日 晴

 

今日と明日、神田古書會館の古本市がはじまりました。初日をのがしては失禮ですから、そそくさとまゐりました。さすがの人出です。もう新參ではありませんから、おどおどなんかしません。堂々と見て回りました。

初日から掘り出し物がありました。この書物を求めるためにやつて來たと言つてもいいくらゐ貴重な出會ひでした。『神護寺文書』です。奥書がはがれてしまつたやうで、いつ出版されたかはわからないんですが、翻刻された文書集です。解説が正字・正假名ですから、戰前出されたものでせう。「源賴朝寄進状」からはじまつて、二七四の文書が載つてゐます。

「神護寺が痛く荒廢して居るのを見て」、文覺さんが復興したことは知られてゐますが、文覺さん、勇み足をもつて、後白河法皇によつて伊豆に流されてしまふのです。それは、神のお導きといつたらいいでせうか。賴朝との出會ひがそこで待つてゐたんですね!

まあ、詳しくは述べませんが、賴朝が後々文覺さんを助けて、神護寺再興の援助したわけで、それで神護寺に、「國寶・源賴朝畫像」があつてもおかしくないと、かういふことになるのであります。はい。

 

『歴史紀行四十 石橋山古戰場を歩く』も、佳境に入つてきました。『神護寺文書』が使へるかどうかは微妙なところですが、賴朝旗擧げ前後を、自分の言葉で言ひ表せたらいいなと思つてゐます。

 

今日の寫眞・・救世軍本部前から撮つた「すずらん通り」。先日のを入口とすると、出口にあたります。それと『神護寺文書』と「國寶・源賴朝畫像」です。

 


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