正月二日(金)戊寅(舊十一月十二日 曇り

 

ぼくは、年のはじめに思ひました。この國にまともな未來はないといふことをです。りんぼう先生は、

「もはや、この国には、まともな政治家は、皆無であることが知れてしまった。

もはや、この国には、志操高潔な役人も、皆無であることが知れてしまった。」

と言つて、「私は、深く深く絶望する。永井荷風のように天を仰いで慨嘆する。」とおつしやつてゐます。

しかし、ぼくは、政治家や役人だけではなく、それらを選ぶ國民に深く絶望するのです。畢竟、彼らは、自分の地域や個人的な思ひ入れだけで代表を選ぶことしかできない了見なんです。どの政党のどのやうな政策を支持するとかではないのです。その結果、憲法改惡だ、原發推進だ、消費税増額だ、ブラック企業や武器製造産業への優遇だとかを知つて、そこまで支持したわけではないなんて後になつて言ひ譯するのが、彼らの愚かさの本質なんです。

今日の寫眞は、昨年の夏、ラムが亡くなつてからはじめた“夜のピクニック”で、偶然撮つたものです。小さな團地の小さなお祭りの小さな盆踊りに姿を見せた謀党の現職政治家です。憲法改惡、原發推進、消費税増額、ブラック企業や武器製造産業への優遇を推し進めてゐる党の議員です。それが、一人ひとりに手を取つて挨拶に回つてゐたんです。はつきりと見ました。妻はよしなよ、と言つたんですが、ぼくはそつと寫しました。かうして、この議員は、この度の選挙でも當選しました。めでたしめでたし、ではありません。かうして、この國は沈んでいくのだなと思はざるを得ませんでした。

政治家も役人も、そして國民も、遠くを見ようとはしない、そこに最大最惡の原因があるとぼくは思ふのであります。

 

“晝下りの情事”、ではない、今日の“晝下りのピクニック”は、北千住を攻略いたしました。地圖によれば、堀切橋を渡り、堤防をおりて柳原千種通りに出れば、あとは道なりです。途中に、「柳原千種園」といふ公園があつたので小休止したんですが、よくみると、珍しい植物がいつぱいでした。ぼくは山暮しをはじめたときに、とくに樹木に關しては自慢できるくらゐ學んだので、だいたいは知つてゐましたが、クサギもラクウシヨウもはじめてお目にかかりました。草花の多い公園はそこらにもありますが、このやうに、樹木を種類多くそろえてゐる公園は珍しいと思ひます。ついでに、工場跡地に珍奇なお遊び施設などを造ることなく、池もあり、自然いつぱいの公園を拵へた足立區は偉いと言つておきたいと思ひます!

北千住驛東口に通ずる通りに入ると急に人が多くなりました。なざわ書店は明日からの營業で、お休みでした。何だか空腹を覺えたので、その前の中華そば屋で、妻はラーメン、ぼくは廣東麺を食べて一休みして英氣を養ひました。それから、驛ビルの紀伊國屋書店と東急ハンズを冷やかし、そしてもう一度深呼吸して歸路につきました。荒川土手から見た夕日がきれいでした。スカイツリーと、それに富士山も見えました。

午後一時五五分に家を出て、歸宅したのが五時一〇分。一〇五〇〇歩で、昨日の天祖神社よりも近いのでした。

 

今日の寫眞・・盆踊りに現れた某党の某議員。それと、今日の“晝下りのピクニック”にて。

 






コメント: 2
  • #2

    hige-jun (土曜日, 03 1月 2015 23:03)

    遠くを見るといふことは、歴史をふりかへつて學び、また、どのやうな將來を築いてゆくか、その展望を持つといふことでもあります。どうしても、そこでは、教育が大切になりますが、その首根つこを押さへられてゐるんです。ますます親が、そしておぢさんやおばさんがしつかりとしなければならないと思ふ今日このごろなのであります。
    ひげ

  • #1

    mori toyoharu (土曜日, 03 1月 2015 16:29)

    日本の先行きへの懸念、同様です。天皇陛下が、新年のご感想を述べられていますが、わが国は自然災害等も多いが、日中戦争終結から70年を迎える今年、あの不幸な戦争の歴史からよく学び、世界の人と日本人がともに助け合って平和な社会の構築を目指して欲しい、と言うような趣旨の話でした。
    国民も無関心のまま、今の安倍内閣は、平和憲法をみっともない憲法だから改正すべきだとか、またもや戦争に加担する方策を作り上げようとしています。
    情けない事ですが、どのように国民に平和の大切さを理解してもらうようにするのか、私には分からず、悲憤慷慨で、ひげさんとおなじ様な気分です・・。