十二月廿九日(月)甲戌(舊十一月八日・上弦 雨のちやむ

 

『歴史紀行三十九 中仙道を歩く(廿二)』、三日目に入り、夕方になつて、どうにか仕上げることができました。頁も十五頁でおさまつたので、二分册にしなくてもすみました。

どうしても寫眞を多く載せたいので、それで増えてしまふのです。それで、内容は、とくに後半は、「ひげ日記」の文面をほぼそのまま使つてしまひました。そして、夕食後、一氣に、五十一名の方に送ることができました。

ところが、しばらくすると、五名の方には發送できなかつたと、エラーの連絡がきました。きつと、寫眞が多すぎたからだと思ひます。調べたら、今までで一番大きかつたのは五・九MBだつたのが、今回は七・二五MBですものね。だいぶよくばつてしまつたやうです。寫眞を少なくして送り直したいのですが、はたしてどなたかかわかるでせうか?

 

ちよいと一息ついて、次は册子版の編集です。また、正月七日には、同じトラベル日本主催の、「源賴朝挙兵の地・石橋山古戦場を歩く」に參加する豫定でゐるのです。その準備もしなくてはなりません。偶然ですが、この八月に、中野敬次郎著『石橋山合戦前後 小田原文庫3』(名著出版)といふ古本を手に入れてゐたんです。案内パンフレットを見たときに、あツ、この本が役立つときがきたなと思つた次第です。だから、古本屋さんめぐりは怠つてはならないのであります。はい。

 

今日の寫眞:中野敬次郎著『石橋山合戦前後 小田原文庫3』(名著出版)。

死ぬときまでそばに置いておきたい、座右の書ならぬ、座枕の書。その二。良寬詩集と歌集を別にすれば、良寬ものでは最高の書物とぼくは思ひます。甘つたるい良寬像や人生論になつてゐないところと、文章が正字・正假名のところも氣に入つてゐます。

 


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