十二月廿三日(火)戊辰(舊十一月二日 晴れ、風邪が冷たい

 

午前中、母のお言ひ付けで、庭の木を剪定いたしました。とりあへず、母の部屋への日差しを遮つてゐるキンモクセイとツバキの二本を選定しました。晝過ぎまでかかつてしまひました。道路には、水道管工事のためにガードマンのおぢさんがゐて、たまに見上げてゐましたが、ぼくを職人かと思つてゐたやうです。まあ、格好も大事ですからね!

 

午後は横になつて過ごしました。それで、居眠りしながらも、少しづつ讀んでゐた、林望著『日本語へそまがり講座』(PHP新書)を讀み終はらすことができました。結論として、「言葉への自覚、こそは、人が大人としてはずかしくない物言いをし文章を書くための、王道であり捷径である」と敎へられました。

實は、以前、『日本語の磨きかた』が面白かつたので、それもネットで購入したんですが、そこでは、「日本語の文尾の形は限られているから、文末が一緒にならないように注意」、といふことと、「日本語の文章には、一文毎に接続詞が必要で、微妙な接続詞をうまく使い分けることが肝要です」と敎へられました。この歳になつても、學ぶことに限りはありませんね。

 

今日の寫眞:キンモクセイ(左)剪定後、ツバキ(中央)はこれから。二枚目は、二本とも剪定後。うまくはありませんが、まあ、だいぶ透きましたし、日差しが屆くやうになつたので、よしとしました。どういふわけか、母は今日はお小遣ひのことは何も言ひませんでした。だいぶ惚けてきてしまつたやうです?

ツバキの右隣りは五葉松で、この一月に剪定したはづなのに、もう葉が密集してしまひました。これも近々やりたいと思ひます。

三枚目は、伊豆にゐた時から使つてゐる、山暮らし七つ道具。左から、鉈、剪定ばさみ、折りたたみスコップ。腰袋には、軍手と手甲。それと、ノコギリ(荒目と細目の二種)。使つたあとには必ず手入れをしてゐます。道具は、自分で手入れができなければなりません。特に、鉈と剪定ばさみは(分解して)、砥石で研ぐのです。これがまた樂しいのですが、東京に歸つてきてからはあまり出番がありません。かと言つて今から山暮らしは無理だらうなと、自分に言ひ聞かせてゐます。

 


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