十二月廿二日(月)丁卯(舊十一月朔日・朔・冬至 晴れ

 

寫眞の整理をはじめました。まづ、友人たちを撮つた寫眞を選別加工して、お送りしました。それから、紀行文に添付する寫眞を選びはじめました。が、これがけつこう難しいのであります。「中仙道を歩く」本文を考へながら選ばなくてはなりません。時間もかかりさうです。

 

月曜日の今日、弓道場へ行きました。すると、先日一緒に馬籠峠を越えたみよかわさんとお會ひしました。葛飾區總合スポーツセンターですから、いつもトレーニングに來てゐるやうなのです。今までもたまにはお會ひしてゐたんですが、今日は思はず聲をかけあつてしまひました。

 

さんちやん、ひろえさん、今日は冬至です。ゆず風呂に入りましたよ。先日送つてくださつた伊豆のゆずは、ひときは良いかほりがしました。お子たちにもよろしく。

 

今日の寫眞:今回の「中仙道を歩く」で訪ねた中津川市は、ぼくが大好きな栗きんとん發祥の地でありました。その記念碑です。いつもはお土産を禁じられてゐるぼくですけれど、もちろん買つて歸りましたです。はい。

それと、前からとてもほしかつた一册、『新潮日本語漢字辞典』です。それが、歸宅したら屆いてゐました。なぜほしかつたかといふと、いはゆる漢和辭典は、みな古代中國の漢字と漢文についての辭典であつて、それを受け入れ、同化し、さらに發展させて使ひこなしてきた日本における漢字の使用と、和化漢文(變體漢文)についてはまつたく考慮されてゐなかつたからなんです。『日本書紀』から『日本三代實録』までの六國史をはじめ、『將門記』を讀んだときにも、また近くは古文書を學びはじめて、ちよいと漢和辭典を、なんて開いてもほとんど役立ちませんでした。

日本語としての漢字、漢文のための漢和辭典がどうしてもほしいと思つてゐたら、小駒勝美著『漢字は日本語である』(新潮新書)に出會つたのです。これは、いはば、『新潮日本語漢字辞典』の宣傳をかねた著作でしたが、何度も膝を打ちました。ところが、どうにも高價で、今度やつとネットで安く購入できたと、かういふわけなのであります。

 問題は、古代、中世の變體漢文を讀むのにどれほど役立つかですね?

 


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