十二月(師走)廿一日(日)丙寅(舊十月卅日 晴れ

 

ゆうべは、歸宅後、撮つてきた寫眞をパソコンにコピーし、十八日の日記を書くのが精一杯で寢てしまひました。ところが、今朝、パソコンを開いてみると、昨夜のうちに川野さんから、ぼくを撮つてくれた寫眞がたくさん送られてきてゐるではないですか。その早業、すご技に感謝しました。

 

さて、旅の二日目、十九日の日記を書きはじめたところ、母の姪、つまりぼくの従姉親子の訪問があつて中斷を余儀なくされました。母とぼくは亥年、従姉とその娘も亥年。四人合はせると、母、従姉、ぼく、娘が、ひと回りづつ違ふ亥年なのでした。ついでに、母の一番上の姉、従姉の母親も亥年産まれなのです。まあ、どうでもいいことですけれどね。

 

それでも踏ん張つて、夜までに、三日間の日記すべてを書くことができました。思ひ出しながらも、紀行文を意識して、なるべくそのまま使へるやうに書きました。また、そこに載せる必要な寫眞だけを選びましたが、これからは、撮つてきたすべての寫眞を選別しなくてはなりません。文章の基本は書けたので、のんびりと選びたいと思ひます。

 

今日の寫眞:川野さんが送つてくれた寫眞、良寬歌碑の前でと、馬籠宿にて。

 


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