十二月(師走)十一日(木)丙辰(舊十月廿日 曇天、一時雨

 

昨夜、『歴史紀行三十八 中仙道を歩く(廿一)』(上松宿~三留野宿)のワード版から册子版への編集が終はり、いつもの方々にお送りしました。どうしても、ワード版だと思ふやうにいかないところがあるので、册子版で完成を期したくなります。でも、それでも、時間をおくと、手を入れなければならないところが必ず見つかるのです。困ります。

 

今日もまた、北方謙三君の作品を讀んでしまひました。アドレナリンが活性化することは言ひました。「純文学を書くことで鍛へ上げた、短く、簡潔な切れ味のいい文章が、氏の描くハードボイルドの世界に実にぴったりしている。・・・このやうに、(本書)は、さりげない導入部から迫力満点の意外な結末まで、氏一流の闘う男の美学が見事に結晶した作品なのである」と、解説者の言葉です。でも、ぼくが好きなのは次のやうなところですね。

 

寒い部屋だった。

 ひとりで戻った時の部屋の空気の冷たさが、なぜか私は好きだった。躰に馴染んだ冷たさ。それがふさわしい生き方もしてきた。

暖房を入れ、バスタブに湯を張った。

部屋は、きれいに片付いている。二日に一度掃除をする。キッチンには、汚れ物は溜めない。乾燥機付きの洗濯機もある。

バスタブに湯が溜まる間、金魚の水槽の前に腰かけた。リュウキンが三尾、黒い出目が二尾、チョウテンガンが三尾。みんな、底の方で大人しくしている。もともと、冬はあまり動きがよくないのだ、

 

といつた主人公の生活態度といふか、ストイックな生き方に共感しますし、それと・・・

 

「オルゴールで、こんな曲はやれないんでしょうね』

「いまのところな。基本形はしっかりしてて、別のかたちになるということは、あまりないだろう。シリンダーと弁。それが音を出す装置さ。それ以外の装置を開発しているという話は、あまり聞かないね」

「人形とか、そんなものがどう動くかなんですか?」

「それも、大して開発されちゃいない。音も仕掛けも、郷愁なんだよ。人間の心の中の、そんなものをくすぐるわけだ。だから、古いままの方がいいのさ」

「わかるような気もします」

 

まあ、こんなちよつとした著者の蘊蓄を聞くのも樂しみです。

 

今日の寫眞:岡山の古い友人から送られてきた生牡蠣。殼を剥くのに手こずりました。以前、「ママカリ」が送られてきたときには、妻と顔を見合はせてしまひました。いただいておきながら、不遜な感想、ごめんなさい。もちろん、夕食は牡蠣鍋でした! 母と妻とともに、美味しくいただきました。感謝。

 


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